02.転校生

 

 

肌を焼く太陽、うだる暑さ。

蝉の鳴き声まで聞こえ始めて、また夏が来たのかとカーテンを閉めた。

 

 

 

 

 

夏になると必ず見る夢がある。

蝉が鳴き始める夏の空気が肌を撫でるころ必ずその夢に起こされて、また、夢見る。夢でしか会えないアイツは少年の姿のままで笑って動き、最後はぴくりとも動かなくなってしまう。

再現される光景は昨日の出来事のように脳裏に焼き付いていた。

 

 

「凛」

 

 

うっすらと聞こえる自分を呼ぶ声に意識が戻ってくる。朝早くに登校したからこそ味わえた静かな教室はいつのまにか騒がしくなってた。色んなところから声が聞こえる。

 

「凛っ」

 

目を開ければ友人の荻野小百合(おぎのさゆり)がいた。登校してきたばかりらしく、大きく膨らむ鞄を持っていてひどく重たそうだ。

 

「おはよ小百合」

「……おはよ」

 

なんとか作れたぎこえちない笑顔の挨拶が見苦しいとでもいうように、生温かい風が髪を撫でて私の顔を隠す。外を見れば眩しく輝く太陽が見えた。雲一つない空には蝉の声が響いている。

 

 

 

 

ああ、夏だ。

今年もやってきた億劫な季節に眉間にシワが寄る。噛みしめた唇は乾燥していたせいで血の味がした。

空を睨み続けていたら視界を覆う影ができる。太陽を隠したのは小百合の手で、私と目が合うと小百合は私の頭を優しく叩いたあと子供をあやすように撫で始めた。

 

「……なに?」

「別に」

 

視線を小百合に移して聞いても小百合はしょうがないなと溜め息を吐くだけだ。

 

 

 

 

「もうすぐ朝礼始まるよ」

「……うん」

 

小百合の言葉通りチャイムが鳴って教師が教室に現れる。おざなりな挨拶のあと始まった朝礼を聞きながら行儀悪く肩肘ついて外を眺めた。相変わらず外は眩しくて暑い。それでもいま少し気持ちが和らいでいるのは小百合の気遣いのおかげだ。

朝はどうしても駄目だった。特に夏の朝ともなると頭がボンヤリとしてしまう。

小百合はそれを知っているから普段朝は私に声をかけはしない。今日はひどく参っていることに気がついて声をかけたんだろう。だというのにこれ以上問われることを嫌がったのもすぐ分かって追求しない。

 

敵わないなあ。

 

同時にこのままじゃ駄目だと思う。だけどどうしても直せなかった。

アイツが死んだあの日はいまなお鮮やかに思い出せる。

毎朝家を出るたび門扉の定位置で笑うアイツが目の前に浮かんでくる。それでも足りないとばかりにたまに見る夢は私を責めるように事故の瞬間を何度も流す。忘れられるはずがない。

『まんまるお月様にお願いしたら叶うんだって。だからお前もして見ろよ』

『凛っ』

『だからしてみようぜ。実験、実験』

『お前さー男だったらよかったのにな』

『りーん、サッカーしようぜ』

『凛』

そして叶うはずもないのに夢を見る度まんまるお月様を探す。子供みたいなことだと分かっているのに、何度だってお願いお願いって空を見上げてしまう。

 

馬鹿みたいだ。

 

腕を枕に横になる。昔とは違い成長してしまった姿が窓ガラスに映った。血の気のない肌、覇気のない顔、ウルフカットまで出来るようになった伸びた髪は茶色になってしまって。わんぱくだと言われた子供が今は見た目と無愛想な性格から不良に見えるらしい。

どうでもいいや。

もうなにも見たくなくて目を閉じた。

色の無い世界はとても落ち着く。もうなにも考えたくなかたった。

 

 

 

 

 

──ここはどこだろう。

 

 

気がつくと真っ暗な空間に一人立っていた。

 

 

 

 

前も後ろも上も下もすべて真っ黒な空間にただ一人。しかし不思議と恐怖はわかない。夢だろうと思ったし、それ以上になにもないこの空間をひどく居心地良く感じたからだ。

しばらく微動だにせずにそこにいた。

 

 

「お願いがあります」

 

 

驚いた。

少し離れた場所で誰かが会話をしている姿を見つけた。すべてが真っ黒なのに変わりはないが、妙に輪郭が見えて動くソレはゆっくり靄がかかったような白いシルエットに変わっていく。声の主は小さな子供のようだった。しかしながらその背格好からは考えられないほどに大人びた口調で、もう1つ……もう1人の白い大きなシルエットに話しかけている。

辛そう、寂しそう、悲しそう……嬉しそう?

たくさんの感情を感じさせる不思議な声だ。懐かしいような、聞いたことがあるような……だけどまったく聞いたことのない声。

何度も反響するその声はなにか一つ蓋をしたようにくぐもっていて聞きづらい。

 

 

「──はい。それでかまいません」

 

 

力強い、意志を持った声だった。

 

「辛くなるだけだ。それに未練が残るようなことになったら例外なく私は──」

「いいんです。そのときは面倒をかけますが……貴方にお願いしたい」

「……変わらないのか?」

「はい」

「なら、もうなにも言うことはない」

「ありがとうございますっ……!」

 

あんまりにも嬉しそうな声に、事情は知らないもののよかったなと心から思えて、口が緩む。

 

 

「さようなら」

 

 

そして悲しい言葉を最後に、真っ暗な空間に光が現れてすべてを真っ白に埋め尽くしていった。

 

「わ」

 

あまりの眩しさに目をぎゅっと閉じた瞬間、髪を引っ張られるような感覚で体が強引に後ろへと引っ張られる。原因を見ようと後ろを振り返ってもそこにはなにもなく真っ黒な空間しかない。ただ、そこには重力のような絶対的な力が存在していて、抗えるものではないのだということを肌で感じた。

 

まあ別にいいけど、あの子供は――

 

不思議な力に身を任せながら遠ざかる真っ白になった空間へ視線を移す。しかし心配は杞憂だったようで子供はもういなくなっていた。その代わり、誰かの背中が見えた。

心臓がドキリと音を鳴らす。

真っ白になった空間に浮かんでいたのは男だった。背を向けて立つ男は大きな背丈に合ったシャツを着ていて、なぜか手を見て立ち尽くしている。

あの人はさっきの会話の中の1人だろうか。だとしたら、どうしたんだろう?

そこまで思ってなぜか妙な期待を持ってしまった。

こっちを向かないかな。

募る期待にあわせて早鐘のように鳴りだした心臓が男に伝わったらしい。男が動いた。男も誰かがいることに気がついて振り返ったようだ。

 

 

 

 

え?

 

ようやく見えた男の顔に心臓が止まりそうになる。時間さえとまってしまったような感覚に陥った。

……似てる。

一番最初にそう思った。そしてありえない。また馬鹿なことを考えてる。そう思った。

だけどどう見ても男はあの日死んだアイツに似すぎていた。まるでアイツが成長したらこんな感じだろうと思ってしまうぐらい、男はアイツに似ていたのだ。

戸惑う私と同じように、男も驚きと戸惑いを浮かべていた。短い男の髪から見える黒い目は見開かれていて、なにかを叫んだ口も驚きを混ぜただろう言葉を吐き出している。けれど男と距離が離れすぎていて、なにを言っているのか聞こえなかった。

呆然としている間にもナニカに引っ張られ続けているせいで男と距離が開いていく。

 

アイツに似てる。

 

そればかり考えてしまう自分はそろそろ危ない。過去に囚われ暗い気持ちを抱えて生き続ける毎日。寝ても覚めてもずっとあの日に縛られている。

 

アイツは死んだ。この人じゃない――だけど。

 

暗い、けれどキラキラする希望を抱いた瞬間、目の前の景色が薄らと暗くなった。私の暗い気持ちを糧としたように真っ黒な空間が大きくなって私を飲み込もうとしているようだ。だけどそんなことよりアイツと話したかった。もっと近くに行ってそれから……っ!

分からない。

でも必死で男に向かって手を伸ばした。

男も同じようなタイミングで私に手を伸ばしていて、それがなんだかたまらなく嬉しかった。動いてる。あのときは届かなかったけど、アイツが手を伸ばしてくれてるなら大丈夫だ……!

なのにアイツは──男は手をおろして悲しそうに笑った。

 

 

 

 

だけどその顔は徐々に左右対称ではなくなっていく。気がつけば私の声だけが響いていて、それに気がついた数秒後アンタがぽつりと言葉を落とす。

 

「なあ、俺らも少しマセてみねえ?キス、してみようぜ」

「!?」

 

思いがけない提案に目をむく私と違ってアンタは悪戯が成功したとばかりに悪い顔をする。

 

「悪い。耳がおかしくなったと思うんだけど気のせい?」

「安心しろ正常だ」

「マジか」

「だって面白そうじゃん。ツキアッタらキスすんだろ?口くっつけてなにが楽しいんだろって思わね?」

「まあ……」

 

付き合ったらキス。

これは確かにクラスの女子も言っていた。そして私もアンタと同じ疑問を抱いたものだ。ツキアウのが一緒にいることというのはまだ分かるけれど、別にキスは必要ないんじゃないかと思うのだ。

 

 

「だからしてみようぜ?実験、実験」

 

 

よく分からない。

ご飯を食べたりジュースを飲んだりするのは当たり前だけれど、口を相手の口とくっつけるのはどう考えてもよく分からない。

それでも興味があった。

閉じていた目を開ければ、じっといつものようにこちらを見てくるアンタと目が合った。なぜだかそれが凄く恥ずかしく思えて、やけくそのようにぎゅっと目を閉じてキスが終わるのを待つ。目を閉じているだけの数秒の時間がひどく長い時間に思えた。

そして唇に自分のものではない柔らかい感触。本当に、ただ口と口を合わせただけのキスだった。それにも関わらず心臓がひどく激しく脈を打つ。頭の中に心臓があるのではと思うぐらい心臓の音が鳴り響き頭が変になりそうだった。

唇にあたっていた感触と呼吸が離れても混乱は消えない。

 

なんでツキアウとキスするんだ……っ!つか暑い、熱い、あつい。もう2度としねえ……っ!

 

疑問を解くためだったのに疑問は解けるどころか増えてしまう。なぜこんなにも自分が変になってしまうようなことを付き合うようになるとするのか、私には理解できなかった。

ちらりとアンタを見れば。アンタは手で口元を覆って俯いていた。

 

「なんか、分かったかも」

「なにが」

 

火照る顔を冷まそうと手うちわしながら聞き返した瞬間、アンタは立ち上がって背を向けた。驚く私を他所にアンタは近くを転がっていたサッカーボールで遊び始めた。サッカーボールがコロコロ、コロコロ転がる。

そして独り言のように呟いた。

 

「……なあ、ジンクスってあんじゃん?」

「え?あー、ミサンガを巻いて自然に取れたら願いが叶うってやつ?」

「それ。んでまあ一緒なんだけどさ、まんまるお月様にお願いしたら叶うんだって。だからお前もしてみろよ」

 

急な話に頭がついていかなくてすぐには言葉を返せなかった。アンタの顔は赤かった。太陽に照らされているからだろうか。

流れる汗を拭ったアンタが微笑み、私を見る。

 

 

 

 

なんで?

 

出したはずの自分の声が聞こえない。いつの間にか辺りは真っ暗で自分の身体さえよく見えなくなっていた。見えるのは悲しそうに笑う男だけだった。

 

 

 

 

手を伸ばせよ。

 

叫んだはずの声さえ聞こえない。

それでも届かない手の代わりに男に向かって叫び続けた。

 

なんでそんなに悲しそうに笑ってるんだよ。そんな諦めたようにさあ。なんで――

なんで私はこんなに悲しいんだ。

 

心臓をえぐられるような痛みが体に走って、悔しいのか悲しいのかよく分からなくなってしまう。更に手を伸ばした。だけど男はもう手を伸ばしてくれることなく微動だにしない。それどころか男の姿は真っ白な空間に塗り潰されてしまった。消えてしまった。

 

もういい。……もういいよ。なにも考えたくない。

 

真っ暗な空間のなか自分の姿さえよく見えない。私は子供のように泣き喚いた。

──光が見えたのはそれからだった。

 

 

 

「失礼します」

 

 

 

突然の声に意識が戻る。

閉じていたらしい目を開ければ、見慣れた光景が目に映った。机に教科書、窓にカーテン、暑苦しい外の景色。クラスメイトのおしゃべりを聞いていたら、分かっていたことだけどさっきのは夢だったのかと再認識できた。

でもそう理解したとたんに馬鹿らしさとかやるせなさとかが胸を締め付ける。

 

馬鹿だ、私。

 

今朝あの夢をみたせいだろうか。アイツに似た奴まで作って何度夢見ればいい。未練がましくウジウジ、ウジウジ。

 

 

いつまでも――いつまで。

 

 

薄らと浮かぶ涙を誰にも見られないように拭う。教室で泣き出すなんてそんなの誰にも見られたくない。だけど周りはそれどころじゃないようだった。なぜかヒソヒソとした話し声が小波のように辺りを漂っている。

何事かと思って目を走らせて見ると、1つ、見慣れない光景を見つけた。教室の入り口に教師が立っていて、その陰に男子が立っていたのだ。

遅刻?

だけど教師の声は遅刻者を責めるようなものではなかった。そしてなにか話したあと、教師が振り返って声高々に叫ぶ。

 

 

「……朝も言ったが転校生だ」

 

 

教師の言葉に女子を筆頭に騒がしくなる。私と同様に今まで寝ていたらしい人たちも顔を起こして首を伸ばした。教師はおかまいなしに話し続けている。

 

「これから一緒のクラスだ。みんな色々と助けてあげるように。さあ、自己紹介して」

 

そして促されるまま、今まで教師の影に隠れて見えなかった男子が教室へと乗り込んでくる。

瞬間、教室は大きくざわめいた。

サラサラなんだろうなと遠目でも分かるぐらいふわりと揺れた黒い髪は襟足だけ長い。なにか気に入らないことでもあるのか口は真一文字で、少し骨ばった顔に似合っていた。特に、目。なにか探るような鋭い視線は端から端までゆっくり移動しいて──止まった。

 

目が、合った。

 

たまたまとかそんな言葉が効かないぐらい、完全に目が合った。交差する視線に呆然としてしまう。

まだ夢の中なんだろうか。

信じられない光景にそんな可能性を見いだしたけれど、試しに抓った指は痛みを訴えてきてこれが現実なのだと思い知る。

転校生は夢に出てきた男とまったく同じ顔をしていた。けれど転校生は先ほどとは違って幸せそうに、けれどどこか泣きそうに微笑んだ。

 

 

 

 

「真月 光(まづき ひかる)です。……よろしく」

 

 

 

微笑む真月に色づく空間。好奇心をのせた声や感情がうずまくなか、場違いなことを叫び出しそうになるのを堪えて歯を食いしばる。

私は馬鹿だ。

何度も何度も自分を叱責しながら真月を見続ける。馬鹿な自分に呆れるだけではなく恨みさえ覚えてしまう。許せなかった。

何度も夢見るアイツの姿。もし生きていたのならと思い、今日はその姿さえ夢で作り出して馬鹿みたいに落ち込んだ。かと思えばまったく同じ顔をした男が転校してきて私に微笑んでくる。

私は馬鹿だ。

 

 

生きてた

 

 

そんな錯覚を覚えてしまった。

 

 

 

 



 

 

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