01.アンタと私

 

 

──夏の暑い日だった。

 

世界に唯一の音のように蝉の声が鳴り響いていて、

くらくらする頭を覚ますように汗がずっと肌を伝っていた。

 

 

 

 

 

 

小学3年生といえば、笑って叫んでいつの間にか終わる毎日。

学校では休み時間となったら外へ飛び出して、休日ともなればやはり外へ飛び出して遊ぶ。近所の友達と言い争いかのような大声で話し、最後には本当に言い争いになって拳を振り上げ走り回る。へとへとになって座り込めばもうなにが原因で怒っていたのか忘れてしまうのだ。

少なくとも私はそうだった。

 

──あの日私はベッドの上で寝転がりながら漫画を読んでいた。

 

待ち人は来ず暇潰しに読む漫画は退屈で、折角朝早く起きたのに二度寝してしまいたくなる。ふわり揺れたカーテンが暑苦しい風を運んできて、外で遊ぶことさえ段々と嫌になってきていた。子供でさえ外に出る気がなくなるほど酷暑だといわれる夏の日で、じっとしていても汗が流れてくるのだ。

 

「りーん!サッカーしようぜ!」

 

 

 

 

それでもようやく聞こえた声に顔はにんまりと緩んでしまう。漫画を放り捨てて窓から身を乗り出せば、暑い日差しを浴びて汗を流す悪友が同じような顔をして笑っていた。

アンタだ。

 

「いま行くっ!」

 

決まりきった言葉を叫べば、アンタは相槌のように歯を見せて笑う。

 

 

 

 

部屋から出る私を追いかける急かす声に適当に答えながら階段を駆け降りる。賑やかなやりとりはリビングに居た母親にも伝わっていたらしい。

 

 

「いってきまーす」

「気をつけなさいよー」

 

 

呆れを含んだ母さんの声を聞きながらサッカーボールを手に持ってようやくの思いでドアを開けた。重たさまで感じるような蒸し暑い空気を感じる。一瞬で肌にまとわりついたそれは僅かな不快さと、そして真逆の爽やかさを抱かせた。眩しい太陽の光り。目が眩んで瞬くあいだにアンタの笑う顔が見えては隠れる。アンタは今日も門扉を前にした定位置にいた。

アンタはいつもサッカーをしようと提案してくるけれど、サッカーボールを持ってきたためしがない。今日も私のサッカーボールを借りる気でいるんだろう。

 

「おっせーよ」

「うっせー!って、あ゛!」

 

アンタを非難しようとした瞬間サッカーボールが奪われる。

 

「またお前っ!」

「先に行くぞーっっ!」

 

アンタは返事を待たず走り去ってしまう。こうなるともう駄目だ。悔しいけどアンタは足が速くて私は追いつけたことがない。

 

「だから勝手に取るなっての。いっつもいっつも」

 

恨み言がアンタに届くことはない。

諦めていつも遊ぶ公園に向かって走った。どうせそこでニヤニヤ笑いながら私を待っているだろうから。

走り出すと汗が道路にぽたりと落ちる。太陽を隠す雲は少なく、見上げれば見上げるだけ肌を焼く日の強さに参ってしまいそうだ。流石に今日は暑い。走らず歩こうかとも思ったけど、馬鹿にしたように笑うアンタの顔を思い浮かべてしまって全力で公園に向かった。

 

 

「あ゛―っ!あっちい!お前早いんだよ!」

「ははっ、パース」

「へっ、うお!」

 

 

息も絶え絶えに辿り着いた公園にアンタの姿を見つけて叫べば、笑い声とともにサッカーボールが飛んでくる。なんとかカットできた。反射的に蹴り返そうとしたのをこらえて呼吸を整える。そして精一杯睨みつけた。

 

「凛のくせに止めるとか生意気。つかあぢー」

「っ!」

 

小さな挑発を受け流す広い心はもう私にはなかった。拳を振り上げてアンタに襲いかかる。お決まりの追いかけっこが始まった瞬間だった。

だけど数分後、咳き込む私たちの声が公園に虚しく響く。

 

「なあ……ゲホッ、ッエ!ゴホッ……タンマ」

「ゲホッ!ぐえ……賛成」

 

ひゅうっと鳴る呼吸音とともに出される声は掠れきっていて満身創痍だ。私の提案にアンタはすぐに賛成して約束の握手をかわす。

これでもう争いは終了だ。あとは涼しい場所を求めて汗をぼたりぼたり落としながらゾンビのように項垂れながら歩く。

 

「あっぢい……」

「死ぬ……」

「そういやこの公園って水あったよな」

「「あ」」

 

思い出して顔を上げた私たちの目の前には輝く水飲み場。休戦はすぐに無効となった。服を引っ張り押し合う醜い争いを勝ったのはアンタで、負け犬になった私の声が聞こえなくなるほど勢いよく水を飲んでいる。

 

「ずりー、早く飲めよ。……無視か」

 

アンタは背中を向けたまま。

私は諦めに溜息を吐いて空を見上げた。目元をチカチカ照らすのは木漏れ日で、ぼおっと眩しい景色を眺めていたらふと頬を伝う汗を思い出した。

暑い。

当然の感情を抱いたとき、蝉の鳴き声を聞いた。追いかけっこに夢中になりすぎて沢山のものを置き去りにしていたらしい。

視界を眩しく照らす太陽の光を追えば、真っ青な空に真っ白な入道雲ができているのが見えた。その隣でまだ足りないとばかりに眩しく光り続ける太陽──夏の景色だ。

 

 

 

 

魅入る景色にアンタの満足した声が響く。

 

「ふーっ、どーぞっ!ゆっくり飲めよっ」

「わーいウゼーッ」

 

すっかり回復したアンタの上から目線に悪態つきながらもすぐ水を飲みに行く。蛇口はひねったままで水が噴水のように飛び上がり落ちていっている。生温い。けれど乾いた唇から口の中へ移るとこれ以上ない恵みのように思えた。

 

「ぷはーっ!あー満足!」

「おい」

 

これでもかというぐらい水を飲んだあと、アンタが休んでいた場所に移動して隣に寝転がる。アンタが寝転がっていたのは水飲み場の近くにある大きな木の根元だった。葉っぱが生い茂るこの木の下は公園で一番の涼みどころで、ここもお決まりの休憩所だ。太陽を直に浴び続けるとしんどくなるけれど、木漏れ日だと日差しの強さも和らぐから私はこの場所がお気に入りだ。

それなのにアンタが不満そうな声をあげたから、何事だと眉間にシワを寄せる。アンタも悩むように眉間にシワを寄せていた。

 

「……んだよ?」

「暑い、離れろとにかく離れろ」

「木陰からはみ出んじゃん。嫌だ」

 

寝転がったときにぶつかった肩を押し返しながらアンタは抗議してくるけれど、離れる気はなかった。この公園で一番大きい木とはいえ木陰は小さく、距離をとって寝転がろうものなら身体は木陰からはみ出ることになる。私一人だけ暑い思いをするのはごめんだった。

結局諦めたのはアンタで、私は木陰のなかなんとなく涼しい気がする空間を堪能する。

 

「あー死ぬー。ってかなんで走ってたんだっけ……あっそういえばお前がボール蹴りやがったんじゃねーか!てかいっつもいっつも」

「お前さー男だったらよかったのにな」

 

私の独り言が文句に変わろうとした瞬間アンタが呟く。

 

「はあ?」

「いや真面目に子分にしたら面白そうだし」

「ふざけんな」

「はいはいすみません。蹴るなっての」

 

ふざけたことをいうアンタを蹴り続ければ、アンタは降参とポーズをとったあと不貞腐れたように目を閉じて寝転がった。

 

「別にいーだろー。んな怒ることなくねー?そのほうが面白そうってだけでさーつかあっぢー」

「……別に、関係ないだろ」

 

横寝してアンタを見ながら呟く私にアンタは驚いたように目を見開く。それから目を逸らして、笑おうとして失敗したようななんともいえない表情を浮かべた。

 

「あー、まーそうだよなあー」

 

悩む声が周りの音に掻き消されていく。風に揺れる草木、鳥の鳴き声や蝉の鳴き声、2人の呼吸音。

アンタは体を起こしたかと思うと横寝して私と向き合った。黒い髪が汗でぺったりと顔にはりついている。アンタはまた突然な話題をふってきた。

 

「なあ俺らって小3だろ?」

「おー」

「もう付き合ってる奴いるらしいぜ」

「ツキアッテル……つきあってる!?マジでっ!?つきあうってアノ大人のやつだろっ!」

 

アンタの驚きの発言に暑さも忘れて身体を起こす。アンタは私を呆れたように見上げていた。

 

「大人のって……。そして俺は告白された」

「え゛っマジか!」

「マジだ」

 

私は言葉通り混乱した。話がよく分からなかったから、自分が持っているなけなしの知識を総動員させる。

最近クラスの女子にソウイウ話をされたことはあった。「坂上さんって男の子と仲が良いよね」とよく聞かれるようになって、それからなんとなくソウイウ話を聞くようになって、それからやっぱりよく分からなかった。

付き合うというのは私にとっては大人がするもので、なぜか知らないが2人きりで遊ぶ約束だった。意味を聞いてもよく分からず、いつまで経ってもツキアウが漢字に変換されない。

2人きりより大勢で遊ぶほうが楽しいのに。だろ?

 

不思議だった。

 

クラスの女子が言っていた。

付き合うというのは一緒にいて一緒に帰って一緒にご飯を食べて──ずっと一緒だと。

 

 

一緒に。

 

 

 

 

考えて、一瞬頭が真っ白になる。付き合うというのが一緒にいることならば、アンタと一緒にいたいと思う人がいるということだ。

 

コイツのことスキって思う奴がいるのかー。

 

そう思うとまた頭が混乱してくる。

なのにアンタはまだ言葉を続けた。

 

「凛はいねえの?そういう奴」

 

ソウイウ奴。スキな奴。

考えて思い浮かんだのは両親だった。そして友達、勿論目の前にいるアンタにクラスメイト──スキってなんだ?

そこまで考えて首を傾げてしまう。思い浮かんだ好きな人は沢山いるのに付き合ってはいない。しかも付き合うのは1人だけらしい。よく分からなかった。

そして更に思い悩む発見をしてしまう。アンタは告白されたと言っていた。もし付き合うのならばその人とアンタはずっと一緒にいるということで、これからはもう遊べなくなる。

想像してむくれてしまう。こんなに楽しいのにそれが出来なくなるのはとてもつまらないことのように思えた。

ツキアウなんて最悪だ。そんなことより遊びたい。……アンタが誰かとツキアウことがなかったらいいのに。

アンタを好きな人には悪いけど正直そう思った。

 

「でもまあーツキアウとかよりお前と一緒に遊ぶほうが楽しいしなー」

 

だから肯定するようなアンタの呟きに驚いて、それから凄く嬉しくなった。

 

「それって喜んだほうがいいわけ?」

 

笑う私と同じように、アンタは一瞬間を置いたあと同じように笑う。

 

「おう!喜べっ!」

 

笑いながら向き合う私たち。

 

 

 

 

だけどその顔は徐々に左右対称ではなくなっていく。気がつけば私の声だけが響いていて、それに気がついた数秒後アンタがぽつりと言葉を落とす。

 

「なあ、俺らも少しマセてみねえ?キス、してみようぜ」

「!?」

 

思いがけない提案に目をむく私と違ってアンタは悪戯が成功したとばかりに悪い顔をする。

 

「悪い。耳がおかしくなったと思うんだけど気のせい?」

「安心しろ正常だ」

「マジか」

「だって面白そうじゃん。ツキアッタらキスすんだろ?口くっつけてなにが楽しいんだろって思わね?」

「まあ……」

 

付き合ったらキス。

これは確かにクラスの女子も言っていた。そして私もアンタと同じ疑問を抱いたものだ。ツキアウのが一緒にいることというのはまだ分かるけれど、別にキスは必要ないんじゃないかと思うのだ。

 

 

「だからしてみようぜ?実験、実験」

 

 

よく分からない。

ご飯を食べたりジュースを飲んだりするのは当たり前だけれど、口を相手の口とくっつけるのはどう考えてもよく分からない。

それでも興味があった。

閉じていた目を開ければ、じっといつものようにこちらを見てくるアンタと目が合った。なぜだかそれが凄く恥ずかしく思えて、やけくそのようにぎゅっと目を閉じてキスが終わるのを待つ。目を閉じているだけの数秒の時間がひどく長い時間に思えた。

そして唇に自分のものではない柔らかい感触。本当に、ただ口と口を合わせただけのキスだった。それにも関わらず心臓がひどく激しく脈を打つ。頭の中に心臓があるのではと思うぐらい心臓の音が鳴り響き頭が変になりそうだった。

唇にあたっていた感触と呼吸が離れても混乱は消えない。

 

なんでツキアウとキスするんだ……っ!つか暑い、熱い、あつい。もう2度としねえ……っ!

 

疑問を解くためだったのに疑問は解けるどころか増えてしまう。なぜこんなにも自分が変になってしまうようなことを付き合うようになるとするのか、私には理解できなかった。

ちらりとアンタを見れば。アンタは手で口元を覆って俯いていた。

 

「なんか、分かったかも」

「なにが」

 

火照る顔を冷まそうと手うちわしながら聞き返した瞬間、アンタは立ち上がって背を向けた。驚く私を他所にアンタは近くを転がっていたサッカーボールで遊び始めた。サッカーボールがコロコロ、コロコロ転がる。

そして独り言のように呟いた。

 

「……なあ、ジンクスってあんじゃん?」

「え?あー、ミサンガを巻いて自然に取れたら願いが叶うってやつ?」

「それ。んでまあ一緒なんだけどさ、まんまるお月様にお願いしたら叶うんだって。だからお前もしてみろよ」

 

急な話に頭がついていかなくてすぐには言葉を返せなかった。アンタの顔は赤かった。太陽に照らされているからだろうか。

流れる汗を拭ったアンタが微笑み、私を見る。

 

 

 

 

「……なんで」

「なんとなく。あ、俺もするから」

「別にんなこと言わなくてもいいじゃん」

「いーじゃん」

 

そう言って笑ったアンタの顔に目が奪われる。アンタの顔がなんだか大人を思わせたのだ。初めて見る表情に目が奪われる私めがけて、からかい混じった言葉とサッカーボールが飛んでくる。

 

「今こそボールとれよなー」

「……さい」

 

飛んできたサッカーボールを私はとれなかった。

 

「うるさいっ!」

 

恥ずかしかったんだ。なぜだかとても恥ずかしくてアンタの顔を見ることが出来なかった。

 

 

──意味わからん、意味わからん、意味わからん。

 

 

私はアンタに背を向けてサッカーボールを追いかける。後ろから追いかけてくるのは遅いと笑うアンタの声。私は振り返りもせず悪態を返した。

走る私の身体に響くドキドキ鳴る心臓の音。周りの音を掻き消して私の視界をクリアにした。コロコロ、コロコロ転がるサッカーボール。

 

 

 

 

夏の暑さに眩んだんだろう。思考がおぼつかず頭が一瞬くらりとする。

 

──暑い。

 

転がるサッカーボールを追いかけて手を伸ばす。

 

──暑い。

 

首を伝った汗は服を濡らしたらしい。暑いのにどこか寒気を感じた。サッカーボールを拾い上げたと同時に顎まで伝っていた汗がアスファルトに落ちてジュッと蒸発する。なにをそんなに苛立っているのか、顔を上げて見えた遠くのアスファルトはユラユラ蒸気を放っていて目が眩む。

ふっ、となにか音が聞こえた。

最初に蝉の鳴き声。いまのいままで聞こえなかったのがおかしなほどに、蝉の大きな鳴き声が辺りに響き渡る。次に聞こえた砂利を踏む音は嫌な耳障りをもって聞こえた。

次に聞こえた音は今まで聞いたことも無い音だった。黒板をひっかくよう音のような不快さを孕んでいるソレは、ますます大きくなって止まらない。

最後に私を呼ぶアンタの声が聞こえた。声というよりも叫び声。アンタが叫んでいる。凛。

 

──私の名前。

 

視界の端にこちらへ走ってくるアンタを見つけた。アンタは必至の形相をしていて、私はなぜかこの瞬間自分がいる場所がどこなのか分かった。サッカーボールを手に持つ私は道路の真ん中に突っ立っていた。身体が動かない。根を張ったように動かないのだ。

数秒前にはもう気がついていた。ゆっくりと流れる時間のなか呆然と目の前に迫るものを見つめる。黒い塊が車だということをすぐに理解できなかった。怖さにすくむ身体を笑うように車は勢いを止めない。

 

 

「凛っ!」

 

 

悲鳴じみたブレーキを踏む音が住宅街に響き渡って、私は強い力に突き飛ばされる。

 

──確か私のほうが力は強いはずなんだけどな。

 

理解しきれない状態のなか私はぼんやりと思った。いつも学校で手が空いて暇になったとき私たちは腕相撲をしていた。その度に私は勝って、アンタは悔しそうにしていたのだ。

なのに迫る車の前で棒立ちになっていた私を押したアンタの力は、私をその場から突き飛ばしてしまうほどに強い力だった。

目の前で流れる現実はコマ送りのようにひどくゆっくりと進んでいく。

アンタから離れていく私の身体を止めたいのに止まることができない。車にぶつかったアンタは身体を変に曲げて一瞬空に浮かんだあと道路に叩きつけられる。車も少し離れた場所で公園のフェンスにぶつかって動かなくなった。

 

数秒だった。

 

私は呆然とその光景を最初から最後まで見ていた。なのに信じられなくて意味が分からなかった。

塀に叩きつけられた頭がジンジンと痛み出してようやく我に返る。頭を触るとビリッとした痛みとぬるりとした感触がした。手に広がったのは真っ赤な血。手を握りしめて隠してみたけれど血は消えなかった。フラフラとしながら痛む身体を起こす。

 

――アンタは痛くないか。なあ、起きろよ。

 

アンタの名前を呼ぼうとしたけど声が出ない。代わりにどこからか現れた大人たちが倒れこむアンタを見て声を上げている。電話をかける人もいた。公園にぶつかって止まった車からは血を流す大人が出てくる。酒臭いと非難する声と未だ状況を把握していない運転手の怒りの声が響き渡った。アンタの近くに集まった大人たちがそれぞれ遠巻きに見ながら同情の言葉を浮かべる。救急車はまだかと焦る声のなかにアンタを呼びかける声が混じって、最終的に誰もが口を閉ざす。

私はさっきと同じようにぼおっと見るしか出来ない。駆け寄ることなんてとてもじゃないけど出来なくて、ただじっとアンタを見続ける。

アンタは道路に寝転がったままでぴくりとも動かない。アンタの身体から真っ赤な血が浮かび上がる。

 

――なんでこんなことになったんだろう。

 

大人の誰かが私になにか呼びかけながら肩を叩いてくる。

そんな大人たちのせいでアンタが時々見えなくなる。止めてほしかった。私は大丈夫なんだ。ただ問題なのはアンタが動かないってだけで、アンタが動かないと私も動けない。

怖かった。

確認したいけれどしたくない。嘘だと言ってほしかった。悪態吐く笑う顔を見ることができたならすぐさま駆けつけられるのに、アンタは動かなかった。

広がる真っ赤な血を道路が吸い上げていく。ジリジリ照らしてくる太陽、真っ青な空、大きな白い雲、揺れる葉っぱ、転がったサッカーボール。

ぐるぐる、ぐるぐる目の前で廻る。ブレる視界のなか奇妙に動かないアンタの体。

痺れをきらした手が勝手に前に伸びて、アンタの姿を隠した。

 

――待てよ、なんかの間違いだろ?

 

今度は勝手に足が動き出したけどすぐにへたりこんだ。足は動かないらしい。代わりに手はよく動くらしく、身体を庇ってアスファルトで擦った手に砂利が食い込んでいた。痛むものの手は私が望むように動く。それだけは分かったから周りから伸びてくる邪魔な手や声をどけながらアンタの傍に這うようにして向かう。

私は動いたのに、アンタは動かない。ようやく届いたアンタの身体は触れると簡単に揺れた。瞼を閉じることができないせいか、目が乾いて涙が浮かんでくる。

 

――なあ、声が出ないんだ。お願いだから代わりになにか言ってよ。

 

ぐらりと揺れた体が私のほうに向く。嬉しくなったのも一瞬で、恐怖のあまり息が詰まる。アンタはいつものように喧嘩を売ってくるでも笑うわけでもなく、血を流しながら目を閉じていた。

 

 

 

ミーン、ミーン、蝉が鳴いている。

 

 

 

騒がしい周りを掻き消すように蝉が鳴き始めて、誘われるように顔を上げる。望んだものはすぐに見つけられた。視界を焼く太陽から離れた場所──まんまるお月様。

 

 

 

 

震える手を握りしめながら私はひたすらまんまるお月様を見上げた。馬鹿なことをしている私に目を覚ませとばかりに降り注ぐ眩しい太陽の光り。

 

──夏の暑い日だった。

 

世界に唯一の音のように蝉の声が鳴り響いていて、くらくらする頭を覚ますように汗がずっと肌を伝っていた。

まとわりつく夏の暑さにうだる雲は、真っ青な空のなかぐったりと伸びている。

夏の眩しさに掻き消されそうなまんまるお月様。

まんまるお月様、どうか、お願いです。

 

 

一緒にいたい。

 

 

まんまるお月様、まんまるお月様、まんまるお月様……っ!

どうか私のお願いを叶えてください。

 

 

 

 

まんまるお月様は願いを叶えてはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 



 

 

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