05.捨てたもの手にしたもの

 

  「廻り逢うそのときに」05話。

【ダラクという人、捨てたもの手にしたもの】

彼と出会った日

 

 

 

 

 

 

「それじゃ、また」

 

 

手を取った瞬間、男は顔を俯かせたあと私を見て底冷えのする笑い浮かべ、それだけ言った。そして消えた。

……え?

人が消えた。え?案内してくれないの?いや、人が一瞬で消えたんですけど。というか、この場所も、止まったままで動かないんですけど、どうすれば……

 

 

「--っ!」

 

 

混乱する私に突然襲った浮遊感。内臓がふっと浮いて危なげな緊張が身体に走る。事実危ない。

理解できないし意味も分からない。私が立っている地面が、直系1mぐらいの円の広さのぶんだけ綺麗さっぱり消えてしまった。消えた。本当に消えた。……そして重力に逆らえるはずのない私は、当然、落ちた。底なんてまったく見えなくて真っ暗闇。

 

死ぬ、って思った。

 

落ちる一瞬、私の目におそらく最後になるであろう現実の世界が見えたけど、感慨に浸る間なんてない。だって落ちてる。不気味すぎる現象で発生した予想だにしない穴の中に落ちてるんだからしょうがない。

怖くて身体を抱きしめたけど、真っ暗な空間のなか凄まじい勢いで落ちていく身体が一番下に辿りついたときのことを考えてしまって、ささやかでもそのときまで抵抗しようと顔を下に向けて両手両足を伸ばす。気持ち落ちるスピードが和らいだ気がした。

 

案外慣れてしまえば平気だ。平気。平気っ。それにこれは現実なんかじゃないんだから大丈夫。死なない死なない死なない。

 

必死に自分に言い聞かせて不安になる心を抑え――られないわっ!絶対あの茶金髪野朗ぶん殴ってやる。死んだら祟ってやる……っ!

この現状を作っただろう茶金髪への怒りがいま全身を覆う恐怖に勝ったときだった。視界に小さな点の色が生まれた。それはみるみるうちに大きくなって眩しいぐらいの光を運んでくる。

闇から落ちた。

そう思った。いままで辺りを覆っていた闇が嘘のように消え、どぼんと私は空に落ちた。澄み渡った青空のなか気ままに流れる雲に、眩しく世界を照らす太陽。目を開けていられない。涙が出てくる。

ここって、地面の下じゃなかったっけ?

意味が分からなかった。でも、もういい。私には分からない凄い力が働いているんだろう。いまはそれでいい。それどころじゃない。

夢だと思いたかった。

 

でも!

 

落ちる速さに肌はピリピリして、耳元では大きな風の音が聞こえる。ドライヤー顔負けの風圧は息苦しくて髪の毛は逆立ってる。クリアになった視界にはあまりにも鮮やかな大空の景色。身体を覆う冷気に肌寒さを感じて、風にまけて涙が目じりに浮かぶ。

 

 

これは現実だ。

 

 

さっき感じた死の恐怖がリアルさを増していく。紐のないバンジージャンプだ。先なんて分かってる。いっそ気を失えたらいいのにその気配もない。眼下には大きな白い雲が迫っている。積乱雲だろうか。分からないけれど、大きくて、不穏な空気を持った雲だ。

『あの穏やかに見える白い雲の中ではね、激しい雷があったり、雪が降っていたりしているのよ』

そう言ったのは、授業中よくぼーっと外を見ていた私に幾度か注意していた、笑顔が似合う女教師だった。

背筋も凍る想像が私を襲う。思い出さなければ良かったと心底後悔した。というか、いま思えばあの先生かなり怒ってたんだろうなあ。さしずめ白い雲が先生ってところだろう。

って、そうじゃない!あんなところに落ちるなんて、死ぬ!雷が!

怖くて眼を瞑った。

けれど襲ったのは轟音でもなければ凄まじい光でもなく、全身を優しく包む柔らかい感触だった。旅行先のホテルにあったふわふわのベッドに飛び込んでいるような感覚だ。これは雲だろうか。なら、雲から抜けていない?眼を開けても真っ白で半信半疑だけど、いま起きている感覚を元に考えてみればそれしか答えはなかった。尋常じゃないスピードで落ちてきた私をものともせず受け止めた雲は、さらに嬉しいいことに私をずぶりと沈み込ませながら受け止めてくれて痛みが少ない。

 

あったかい……。

 

そんな余裕は束の間しかもたなかった。

自身を変形させ、私を沈み込ませながら受け止めてくれた雲はどうやらとても柔軟な身体のようで、今度はその弾力で私をまた空に戻した。ひ、と情けない声が出る。また同じように雲に落ちて、今度もまた受け止めてくれた雲に、さっきまでの幸せを感じなかった。どうせまた飛ばされる。それは正しくてトランポリンみたいにまた飛ばされた。

あれ?だったら何回も飛ばされば、いつかは止まるはず。止まったあとどうするかは謎過ぎるけど、とりあえずそこは考えないでいいや。とにかく落ち着きたい、止まりたい。

また迫ってきた雲に覚悟を決めて身体を預ける。目をぎゅっと閉じて雲に落ちていった。

落ちて……いく……?

いつまでたっても何かに当たる感覚が無い。いや、あるにはあった。冷たい煙のようなものが肌を撫でる感覚。え?これって、もしかして?恐る恐る目を開けてみる。

目に映ったのは灰色の雲だった。

ピカッッ!!

それに加えて黄色いとも白いともいえない雷の線が映る。あー、綺麗。目が焼ける。

 

 

「なんで落ちてんのっ!」

 

 

叫び声は、雷の音でかき消される。耳がビリビリして身体は音に包まれて、残像が残る眼に涙が浮かぶ。

幸か不幸かその雲の中にいたのは一瞬だった。すぐに雲の外に出ることが出来た。

 

うっわあ……!

 

雲を抜けた先に待っていたのは、壮大な青い海。そして、離れたところにはかなりの範囲で広がっている森があり、街らしきものがあり、城があった。

 

ここは……どこ!!?

 

広大な自然や、明らかに西洋風の立派な城が立っている時点で、ここが日本じゃないということだけは分かった。それだけしか分からないけど……!綺麗。すごく綺麗!

綺麗だと思ったその海にまっ逆さまに落ちている。だけど声の出し方さえ忘れてしまうほど、なにもかもが光り輝いているこの光景はあまりにも綺麗で目が離せなくて、気にも留めなかった。

 

 

 

「何してんだ?んなとこで」

 

 

 

──明るい口調の男の声だった。

空気を切る風の音は相変わらず大きいのに、しっかり聞こえた。真上から。私はいま空から落ちてるのに、真上から聞こえてきたのだ。恐る恐る軋む首を曲げながら見上げると、聞き間違いであってほしかったのに、そこにはちゃんと人がいて私を見てにこやかに笑っていた。

……え?

その人は黄土色の髪に碧眼を持つ男で、額に赤茶のハチマキをつけ、重ね着したシンプルなTシャツとズボン姿に、腰の辺りにインドの人たちがつけてそうな腰布を巻いていた。片耳には金色の小さな輪っかに長い棒みたいなものが3本ついている不思議なピアスをつけている。……背中に見える大きな剣は本物だろうか。一見なにかのコスプレにも見えるけど、妙に様になってる。

あの茶金髪のように外人顔で、しかも整ってるんだけど、どこか少し幼さがあるように見えた。楽しそうにニコニコ笑っている。一体なにが楽しいのかちょっと聞いてみたい。

ああでも、なんだかすっかりこの不思議な男に魅入ってしまう。この異常な状態で笑ってる神経にもだけど、どこかで……この顔を一度見たことがあるような気がして。高鳴って騒ぐ心臓が更に私を動けなくする。

あぐらをかいて膝に頬杖をしている男はといえば、笑いながらも興味深そうジロジロ私を見たあと、その顔からは考えられないほどに恐ろしいことを言った。

 

 

「この早さで海に落ちたら間違いなく死ぬけど、お前カング持ってんのか?」

 

 

言葉は通じるのに、言っている意味が分からない。

えっ、死ぬ?私が?いや、だったらあんたもじゃないの?というか、カングって?

次から次へとわく疑問に、混乱しながらも大声で叫んだ。

 

 

「カングって何っ!?」

 

 

すると、男は驚いた顔をしたかと思えば急に背を向けて逃げようとした。慌てて男の服の裾を掴む。なんとなく風が和らいで、逆に男の髪の毛ははためいた。男は「げ」と零して肩を落とす。

振り返った男の顔にやっぱり魅入ってしまいそうになったけど、それどころじゃないと言い聞かせる。視界を遮る私の髪もあいた手で押さえつけて、下手をすれば逃がしてしまいそうな男の服にいたっては力の限り握りしめる。

そしてわざと耳元で叫んでやる。

 

 

「なんで逃げるのっ!?」

「あー……。カングも知らないでこんな物騒な空から落ちてる奴っていったら自殺したい奴だけだろ」

 

 

男は私が服を掴んだから一緒に海に落ちていっている。それなのに平静で、だから私はパニック状態だったけど叫びまわったりするような羽目にはならなかった。物騒な海?自殺?問いかけても分からなかった答えに頭はぐるぐるしてるけど。

 

 

「自殺なんてそんなの、しないっ!」

 

 

私の必死な訴えに、男は今日は晴れだねと能天気な会話をしているかのように朗らかな顔で口を開く。

 

 

「へえ。というかカング知らないって田舎者……つかどうしてこんなとこ落ちてんだ?」

 

 

見ず知らずの男に、しかもこんな状況で出会った男に!なんでいきなり田舎者とか言われなきゃいけないんだろう。……というかそれは私も聞きたい。

 

 

「私だって知らない!助けてっ!!」

 

 

ようやく男は真面目な顔をした。そして、目を閉じながら首に手をまわして唸ったあと、考えごとでもまとまったのかさっぱりした顔になる。

 

「じゃあ……」

 

そう言って男は私の腕を引っ張って自分のところへと誘い、さっき見たはずの幼い顔はどこにいったのかと思うぐらいに妖しい雰囲気で笑う。

な、なに。

警戒する私に向けて言った男の言葉は突拍子もないものだった。

 

 

「アンタの住んでる辺りで、魔法は広まってんの?」

「まっ、魔法?」

 

 

途端に頭の中で有名なロールプレイングゲームのテーマソングが流れ出す。えっ、魔法ってあの魔法?

 

「あっ、知ってんの?使える?」

 

男は意外そうに、そして残念そうに言う。意味が分からない。そんなもの現実で使える訳が無い。はず。

……でも私がこんな状態になってるのは、その魔法で、じゃないだろうか。魔法。なんて非現実な。だけどそんな“魔法”じゃないとこんな非現実なことができるはずがない。

魔法。

 

「知ってるけど、使えない」

 

胸がドク、ドク、と主張し始める。

 

「ふーん……じゃあ」

 

ぐっと近づく男の眼があまりにも綺麗な碧色で、その中に映る私の黒髪がもったいなく感じる。長い睫は僅かに金を帯びてる。にんまりと口角を吊り上げている男は、今、落下しているということを忘れているような余裕があった。

そんな男を見ていると私まで海に落ちていってることがどうでもよくなってきて、ただ、非現実なものに胸が期待でいっぱいになっていた。

 

 

「じゃ、契約だな。キスして」

「……は、い?」

 

 

唐突過ぎる言葉に呆然としてしまう。

いつのまにか支えられるように腰にまわされた手のせいで至近距離で向かい合った状態だった男を凝視する。聞き間違いかと思ったけどそうじゃないらしい。早くしないと死ぬぞ?なんて笑いながら言ってくる。今死にそうなのに、この男はいったいなにを言っているんだろう。……死ぬ?

見ると話しているあいだにも海との距離は縮まっていて、今までのことから考えるとこのスピードでこれぐらいの距離なら一分もすれば衝突するんじゃないだろうか。なんて冷静なんだ私。ついでに冷静に考えてみれば、迷っている暇はないなんて分かってる。けれど、キスしたら本当に助かるのか?という疑問も押し寄せてくる。ああ、男の余裕顔が憎らしい。

 

「く、口に?」

「ん~?まあどこでもいいんだけど、口だと力の入り具合なんかが違う」

 

力の入り具合ってなにが!ああ、意味が分からない。……もうどうにでもなれ!

覚悟を決めて男の頬にキスをした。手を繋ぐように、そっと触れるだけのキスだ。すると男は自分で言ったのにも関わらず驚いたような顔をして、そっぽを向きながら左頬を掻く。かと思えばすぐに顔を見せた。

 

「どーも」

 

契約とやらは完了したんだろうか?魔法だとは思うけど、とりあえず男は私の知らない技を使って落下するスピードを落としていき、遂には海面のすぐ真上で落下する私たちを止めた。波しぶきが足を優しく撫でる。

 

 

「あ、あ、あー」

 

 

今のが魔法?凄い、どうやってするんだろ。というか、私、死んでない……。

脱力して男に身体を預けてしまってる状態だったけど、もうなんかどうでもいい。いままでの急降下のせいだろうけど、身体が妙にフラつくし浮遊感が若干残ってて少し気持ち悪い。そりゃあんなに落ちたもんね。あんなに……あれ?おかしくないだろうか。私は上空を飛ぶ飛行機から見るような雲に向かって落ちていった。そんなに高い場所から落ちて、肌寒さとか息苦しさとか感じたけど、少しだけだ。意識ははっきりしてたし──ああでも、まあ、いっか。考えてもしょうがない。きっとあれも魔法だったんだ。それよりも、

 

「……さっきさ、空にいたとき『こんな物騒な空』って言ってたけど、どういう意味なの?」

「ここら辺は次元の境目だろ。魔力が安定してねえんだ。それに、最近は闇の者も出てくるようになったしな」

 

くらっとしてしまう。「次元の境目」、「魔力」、「闇の者」……。駄目だ、訳が分からない──けど!

見えるのは広大な海。その上に浮かぶ私たち。端に見える陸地にある城。改めて周りの景色を眺めて実感する。ここは、どう見てもさっきまでいた私の現実の世界じゃない。ここは、違う世界なんだ。肌で感じる説明のできないこの感覚。

 

 

私はいま、異世界にいる。

 

 

魔法。見たことも無い城。知らない言葉……この男の説明を聞いていていると馬鹿らしいことだらけだけど、本当のことなんだ。実際に存在すること……!私は異世界に来たんだっっ!

胸の中から好奇心とか期待とか沢山詰まった感情が溢れてくる。早くあのお城とかにも行ってみたい……!

こんな気持ちになるのはいつぶりだろうと思えるぐらいワクワクした感情が体中に広がる。叫びながら走り回りたい気分だった。

 

 

「とりあえずここにいたら食われちまうかもしんねえから、ひとまず街にでも行くか?」

「えっ、連れてってくれるの?やった……って、え?食われるって、何に」

 

 

恐る恐る顔を伺ってみればニヤリと笑って返される。

 

「やっぱりいい。早く街に連れてってください」

「おし、んじゃさくっと行くか」

「え、わっ」

 

なんでもないようにそう言って海の上を歩き出す。浮いてるから歩けそうな気もするけど──そもそも浮いてること事態がまだ受け入れられない──なんにも見えない透明の場所を歩くのは凄く恐い。男は、腰がひけて歩き出せないでいる私の手を引っ張る。ガシャ、と金属音が聞こえた。大きな剣……。赤いハチマキが風に揺れるのを見上げながら歩く。……あれ?

ふと気づく。

 

「あのさ、さっきのキスってもういいの?」

 

どんな原理か分からないけど、キスすれば魔法ができるらしいのに。それともまだ効力は続いてるんだろうか。でもそれにしたって魔法を使うたびにキスが必要なんて不便すぎるんじゃ?……あれ?

むくむくと違和感が首をもたげる。男は首だけで振り返ると呑気に言った。

 

「あれ?もっかいしてくれんの?」

「……ねえ。別に魔法使うのにキスなんて必要ないんじゃないの?」

「いやー必要だって。主に俺のやる気のために」

「それって、しなくてもできるってことだよね」

「俺のやる気が起きないと魔法を使うって選択肢はなかったから、必要だったんだって。そんなこええ顔すんなって」

 

ははっと笑う男に口元が引きつる。あんな死ぬかもしれない状況でよくもまあそんなことができるもんだ。呆れて、でもなんか悔しくて繋がれたままだった手に思い切り力をこめて握ってやった。

 

「おー。いって」

 

大してそう思ってなさそうな声に脛を蹴ってやろうかと思ったけど、やめた。くしゃっと笑う顔に、なんだか気がそがれて、私まで笑えてきた。

 

 

「そうだ、名前は?」

「あ」

 

 

そう言われて初めて今の今まで男の名前を知らなかったことに気がつく。しかも、よくよく考えてみれば、この世界に来て初めて出会った人だ。

 

 

「私は……ユキ」

 

 

ユキ。自然に出てきた名前。そう、私はユキだ。河野ユキじゃなくていい。苗字はいらないんだ。現実を捨てた私には、もう必要ない。もともと私にあったのは“ユキ”という名前だけだったんだから、それだけで良い。

 

 

「俺はダラク。じゃあ、ユキよろしくな」

 

 

この世界に来て出会った記念すべき第一号は、ダラクという名の男だった。

異世界での私の生活が始まる。

 

 

 

 

 

 

 



 

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