03.願い

 

  

「廻り逢うそのときに」03話。

【夢に見た現実、願い】

 

ありえない夢

 

 

 

 

 

 

 

……誰かの声が聞こえる。

 

大きな声ではなかったけれど、意味をなしそうでなさない混ざった言葉がボソボソと途切れ途切れに聞こえてくるもんだから、妙に気になって目が覚めた。

いつの間にか寝てしまっていた目を開けながら、どうせなら爽やかに目覚めたかったと愚痴一つ。

そして、一気に目が覚めた。

目に映ったのは黒以外なんの色もない真っ暗な世界だった。なにも見えない。

 

 

「……え?」

 

 

自覚できるぐらい情けないほどに震えた声が耳に届いたあと、すぐに目を閉じた。

あれ?確か私って部屋にいたよね?

記憶を振り返ってみても、やっぱり最後の記憶は部屋に入ってソファに座ったところで止まっているんだから間違いはない。

 

なら、これは夢?

 

前にもあったような場面に眉間にシワが寄る。どこかで……どこかでこの感じを味わったことがある気がする。

って、ああ……そうだ。瓦礫の夢だ。

 

そっと目を開く。そこにはやっぱりさっきと違わず黒一色で真っ暗な世界が広がっていた。自分の身体を支えているはずの地面でさえも黒一色で染められた世界。一体、こんなところに誰が住むんだろう。私か?それは瓦礫の夢と同様にごめん被りたい。

 

足場があるのかないのか分からないほどに黒だけの世界だからか、平衡感覚が薄れてふらふらする。足場の見えない地面の上でしっかり足を固定して何度も辺りを見渡す。

 

「ここどこ?」

 

顎がはずれてしまったんじゃないかと不安になるほどに開いた口は、それだけの言葉を落とした。すると、わいてきて当然なその疑問に答えてくれようとでもしたのか、ふいに懐かしい声が聞こえた。

 

……鏡が、浮いてる。

 

驚いて声がしたほうを見れば、確かにさっきまでなにもなかった空間に鏡が浮いていた。金で縁取られている大きな鏡で、見れば年代物とすぐ分かるけれど、同時に神秘的にも感じられる高価そうな鏡だった。

そんな鏡がなにかを映し出しながら宙に浮いてる。気味が悪いことに鏡は私じゃなくて誰か、複数の人達をテレビのように映していた。どうやら声の発生源は映し出されている人達かららしい。

 

これはなに?なんで浮いてる、ってかいつのまにそこに……!?

 

自然と後退する足。だけどまた、さっきとは違ってはっきり聞こえた声に足が止まる。それはあまりにも懐かしくて、親しみのある声で──

『名前だけは分かっているんだけど、その後のことが全然分からないの……。この子も覚えてないみたいで』

お、お母さん!?

ありえない。だけど、聞き間違えたりなんか絶対にしないお母さんの声が鏡の中から聞こえた。

ありえない、ありえない……!

足が勝手に動いていく。もう恐怖はなかった。

 

そこには予想とは少し違い、最期に見たときの記憶よりも少し若いお母さんとお父さんと、小さな女の子がいた。

なにがどうなっているんだろう。これはなに?

正直夢っていう形でもお母さんたちの姿を見れたことは笑ってしまうぐらいに嬉しい。だけど分からない。

 

なんでお母さんとお父さんはこの鏡に映ってるの?というかそもそもココは?

 

……とりあえず分かるのは、笑顔な私とは裏腹に鏡の中で繰り広げられる内容は深刻そうなものだということだ。懐かしい家のリビングで円になって集まっている三人の周りには黒いオーラが見える。

 

それにしても、あの子は誰だろう?

端に映る小さな女の子は、傍目にも上等そうな生地で作られている白のワンピース (ネグリジェ?)を着ていて、小刻みに震えながら俯いていた。

 

まさか誘拐したとかそんなんじゃないよね?

 

育ての親に向かってなんてことを、という思いにかられながら女の子を凝視する。すると、思いがけない答えが出た。

あの子って……私だ。

今朝鏡で見たばかりの顔より幼いけれど、きっとそう。私には小さな頃の記憶があまりないからはっきりと断言できないけど、似ているその女の子を見ていると、そんな気がした。

 

それにこのときの記憶はないけれど、私が小学6年生になったその日に深刻な顔をしたお父さんとお母さんから『私達はユキの本当の両親じゃないんだ』という衝撃的な事実を聞かされたときの内容と似ている。小さい頃から両親のどちらにも似てないことがちょっとした悩みだったのに、まさか本当に両親じゃなかっただなんて、ってかなり落ち込んだっけ。ああ、脱線した。

 

ともかく、いま鏡に映っているのは私がお母さんとお父さんと初めて出会った日のこと?……まさか。ありえない。

そう思うのに繰り広げられる会話で予想が当たっていたことが分かってくる。

 

お母さんが自分の身体の後ろでビクビクしている小さい頃の私をお父さんの正面へと移動させた。小さい頃の私は怖がっているのか、顔を少し下に向けてお母さんの手を握っている。

そしてお母さんはポケットから取り出した紙をお父さんに見せた。目が離せない。少しよれた小さな紙には、どうか親切なかたユキをお願いします、とだけ書かれていた。それだけ、たったそれだけ書かれている紙。

ああ、そっか。私やっぱり捨てられたんだな……。

前から知ってたことだけど改めて実感した。捨てられたんだ。紙切れと一緒に。

『身寄りがないのか……』

お父さんはそれだけ言って、自分の目の前にいる小さい頃の私を見た。自分の今の状況が分かっているのか分かっていないのか、小さい頃の私は泣きそうな顔をしている。

『ねえ、あなた。このままじゃ施設に送られちゃうわ。……私達には子供ができなかったし、どうかしら?この子を育てない?』

お母さんの発言に驚いたらしいお父さんは、面白いぐらいに間抜けな顔をしながら聞き返した。

『お前はいいのか?』

『私はそうしたいわ。それにこの子私の手を離さないの』

お母さんは優しく笑いながら、自分の手を力いっぱいに握り締める小さい頃の私の手をきゅっと握った。お父さんは何も言わず、ただその様子を見ていた。

お母さんはお父さんが何も言わないということに了承と読み取ったのか、小さい頃の私に向き合って優しく言った。

『ユキ……これからは私があなたのお母さんよ』

あ、お母さんの顔だ……。

今まで横を向いてあまり見えなかったお母さんの顔が、小さい頃の私を見たときに、私にも見えた。

いつも微笑んで私を見守ってくれていたお母さんの顔。私はその顔を見ていつも言ったんだ。

 

 

「お母さん」

 

 

どんなに小さな声でも、掠れた声でも、愛しさを込めて呼べば応えてくれたし、呼ぶ度にお母さんはいつだって優しく微笑んでくれた。

そうだ。私はいつもこの笑顔に救いを求めていて、拠り所にしていて、救われていたんだ。お母さんの笑顔を見たら自然と私も笑顔になれる。いまだってお母さんを見る私の顔は、きっと目の前にいる小さな私と同じように笑ってるはず。

 

──って、え?

 

思わぬ事態に息が詰まる。

気のせいだろうか。小さな私と、眼が合った。

 

鏡に見える映像自体ありえないことなのに──ただの気のせいかもしれないけど──小さい頃の私と眼が合った。というより、お母さんから顔を逸らして私のほうを見上げている。小さな手でお母さんの手を握るその顔はただただ無表情に私を……まるで、私が見えてるかのように。冷たい手で首を絞められたような感覚に襲われる。ゾクリと肌が粟立ったのが分かった。

そしてそれが合図だったかのように、急に鏡が色をなくして何も映さなくなる。

 

「お母さんっっ!?お父さんっっ!!」

 

慌てて鏡に手を伸ばしたけど、触れるか触れないかという距離で鏡さえも急に目の前から消えてしまった。

そして鏡という唯一色を持っていたものがなくなってしまった瞬間、辺りはどこをどう見てもすべてが真っ暗に。

瓦礫の夢の次に現れた暗闇そして感動の再会……と思えば、また暗闇。

 

なに?なにがどうなってるの!

 

それでどうかなる訳でもないけど、どうしようもなくて混乱した頭を振った。もう、訳が分からない。

ピリピリと痛むほどに手を強く握り締める。

 

 

 ……ポチャン

 

 

水音が聞こえた。小さな音だった。静かな夜中にこっそり聞こえる水音だ。

けれどその音は、人気のない長いトンネルの中で物を落としてしまったときのように不気味に耳に響く。存在を誇示するかのように反響し、けれど最後は小波のように消えていく音に、身体が異常と思えるほどに震え始める。腹の底から気持ちの悪い感情が突然生まれたかと思えば、じわりじわり身体中に侵食していく。

 

怖い。

 

ううん、そんな生易しいものなんかじゃない。恐怖だ。

背後で聞こえたその小さな音に、私はいいようのない恐怖を覚えていた。身動きができないほどの恐怖だった。

聞き間違いであってほしかった。

 

ついさっきまでこの景色が晴れるだとかなにかしらの変化を望んでいたはずなのに、いままで聞こえなかったその音を聞いてしまったとき──それがなにだか知らないくせに──駄目だ、と思ってしまった。それは嫌だ。聞きたくない。

なのにまた聞こえてくる。さっきよりも近い。近づいてきている。

長い間隔をあけて聞こえてくる音は次第に間隔を詰めていき、はっきりと分かるぐらいに音が大きくなっていく。

 

何かが、来る。

 

咄嗟にそう感じた。ソレが、もうすぐそこまで来ている。心臓が自分のものではないかのように強く脈打ち大きな音をたて始める。

 

怖い。でも、ソレを見たい。

 

訳の分からない恐怖で身体が動かないけど、今までに感じたことがないほどの好奇心がソレを見ようとウズウズもする。それとも、ただ単純に私はソレが恐怖とは違うものだと確かめたかっただけなのかもしれない。

いくらか躊躇したあと、思いきって音がしたほうを見た。

 ……だけどそこには暗闇が広がるだけで、何もめぼしいものはなかった。

 

なにかがいると思ったんだけど……。

 

少し期待はずれな気もしたけど、それよりもほっとして長い溜息をついた。とてつもなく恐ろしいものが迫っているような気がした。逃げられないと思ってしまうような勢いで、残酷なほど確かなもので、私のほうに迫ってくるように感じたんだ。

 

「ふぅ」

 

額を流れる汗を拭う。風が吹いて、汗が通った場所が冷やされていった。……風?

はっとする。

そういえば、今回は瓦礫の夢と違って、ココから音が聞こえる。

 

 

なんだか少しずつリアルになっていってる?

 

 

それなら次見る夢はどんなものになるんだろうか。考えてみて、少し、少しだけわくわくしてしまう。感覚が麻痺してるんだろうか。

……思えばこのとき、完全に気が緩んでいた。そんな場合じゃないのに笑ってなんかいるから──

 

 

ソレは突然現れた。

 

 

ポチャン、と大きな水音。あろうことか耳元で聞こえた。

瞬間、死んでしまう、なんて思ってしまうほどの恐怖に一気に血の気がなくなる。死神に触られたとしたらこんな感じだろうか。首筋に鋭利な冷たいものがあてられるような、恐ろしい感覚だった。

 

 

「──ッ!」

 

 

悲鳴にもならない声が出る。よろめいて、でもすぐに走った。

 

 

こわい、怖いっ!

 

 

頭はパニック状態で、ただひたすら走りながら耳を擦った。いやに高かった音がいつまでもポチャンポチャンと木霊している。やけるように熱い喉から掠れた息が出ては消える。少しでも足を止めればソレが襲ってきそうで止まれない。

 

嫌だっ!誰か助けてっ……!!

 

頭がおかしくなりそうななか、ギリギリまで保っていた涙が溢れて頬を伝う。涙の通った場所がひんやりとした冷たさを私に感じさせた瞬間、暗闇の世界に静寂が訪れた。まったくの無音になったこの世界で聞こえるのは、瓦礫の夢と同じく私の心臓の音や吐く息といった私が出している音だけだった。自分だけしかいない世界。それがこんなにも安心するなんて。

すでに限界でその場に蹲る。もうこれ以上なにかが自分に近づかないように身体を思い切り抱きしめた。涙が温かさを伝えては冷え切って身体を冷やしていく。血の気がないのかくらりぐらりとする頭は動いてくれない。

 

怖い、怖い、怖い。

 

なにがなんだか分からない。分からないけど!……怖い。それだけは確かだった。怖くて怖くてしょうがなかった。

 

ココは嫌だ。ココにいたら思い出したくないことを思い出してしまう……!!!!

 

……思い出したくないこと?

 

 

ソレッテ、ナンダロウ?

 

 

「ぅあ゛」

 

 

ドクン、と大きく心臓が跳ねて景色がぶれる。同時に息ができなくなって、頭に痛みが走った。

それがきっかけなのか、白い靄がかかった映像が頭に流れてきた。記憶とはどこか違う気がする。テレビ画面を見ているような映像が頭に流れてくる。ただし電源も切れないしチャンネルも変えれなくて、強制的に流れてくる映像だった。

 

笑い声が聞こえる。皆と自分自身の、楽しそうな笑い声──それはいままであった幸せなときの思い出で、愛しくて大事なもの。お母さんが、お父さんが、晃が──皆がいたときの記憶。

ふいに誰かの後姿が頭をよぎる。かと思えば一瞬で消えてしまった。

 

「あっ……」

 

一つに束ねられた金糸のような長い髪をなびかせて歩く、誰かの広い背中。

頭にかすったソレが私になにかを思い出させようとする。

誰?……分からない。誰なの?

分かりそうで分からなくて、知ろうとすればするほどぼやけて消えていく。後少しでなにか分かりそうなのに……っ!

はがゆくて、悔しくて、胸がしめつけられるような気持ちが生まれる。涙はもう乾いてしまった。

 

「な、に。地鳴り?」

 

前触れなく、獣が唸るかのような低くて大きい地鳴りがそこらじゅうから聞こえてきた──また、世界が変わる。まるで私が思いだそうとするのを止めさせようとしているんじゃないかってぐらいに完璧なタイミングだった。事実、ソレのせいで私は、また、忘れてしまった。

低い音が大きくなるたびに、辺り一面がますます震え上がっていく。

 

ああ、こっちに来る。

 

さっき感じた何かがまたこっちに来ているのだと分かってしまった。肌で感じてしまう。何かは分からないソレが、何かを狙うように、ものすごいスピードで迫ってくる。そして、ソレが狙っているのものは、私だということも知っていた。

 

もう、逃げられない。

 

それなのに私は体力もなければ精神的にも参って逃げられなかった。ただ目を閉じて、手で頭を覆うしかできなかった。

──だけど、それは急に消えた。

私に触れるか触れないかという距離で急に消えてしまった。音も消えた。

 

「あれ……?」

 

目を開けたら暗闇が見えるはずだった。なのにゆっくり広がる視界には光が映っていく。淡くてほとんど白に近い黄色の光が目に眩しかった。そして、光の先に映ったのは──木の頂上が見えないぐらいに大きな一本の木だった。

もう、気がついたら目の前に何かがあるということに慣れたくもないけど慣れてしまっていて、怖くなるよりもただその木から溢れている神々しいともいえる雰囲気に圧倒された。ただただアホ面下げて木をまじまじと眺める。その木は、葉が濃い緑色で、枝や木は薄くて少し光を放つ黄緑色といった変わった配色の木だった。

 

 

「綺麗……」

 

 

あまりにも異様で、綺麗。

さっきまでのグチャグチャな感情が拭われるほど目が奪われる。……もっと近くで見たい。

真下から見上げてみたくなった。この距離でももうてっぺんは見えないから、真下なんて行ってみたらてっぺんなんて絶対見えないだろう。だけど真下から見上げてこの木に触ってみたくなった。

そう思ったが先か、足が木に向かって動いていく。誰かに操られてるみたいにフラフラしながら歩いていた。

綺麗だろうな。キラキラ光る緑や白や黄緑色──目が開けられないかもしれない。そのときは目を細めて見上げてみようか。

頭に思い描いたビジョンはきっと正しい。足が少し早くなる。

私を止めたのは、私以外の声だった。

 

 

「クルナ……」

「っ!?」

 

 

水音が聞こえたときと同じぐらい驚いて辺りを見渡す。だけど、誰もいない。

水を通して聞こえるようなくぐもった声は何度もエコーして耳に聞こえてきた。どこか聞いてるよりも聞かされてるような気がする。……でも、なんで?そもそもこれは夢でしょ?ああ、なら、もう気にしなくてもいいか。ただの夢なんだし。でも……気になる。ああもう。

いままでの展開に貯まっていたストレスが私を苛立たせる。訳の分からないことばかりが続いて、今度は命令されるんだ。イライラしてしょうがない。

顔の見えない声だけの存在を探して、宙を睨み上げる。

顔を見せてよ。顔が見えないとなにを考えてるか分からないし、なんでそんなに焦って話しかけてくるのか分からない。

応えられない。

 

「クルナ……!」

「誰なの?なんでそっちに行ったら駄目なの?」

「オマエハココニクルベキジャナインダ」

 

警告するだけじゃなく、どこか諭すように、懇願するような言葉に戸惑って質問できなくなる。

 

「訳分かんない」

「……」

 

不思議な気分だった。

この誰かは分からないモノと話しをしていると、なんでか……懐かしい、と思ってしまう。“この人”と会ったことがある気がする……。

 

 

「私、あなたに会ったことがある?あなたは」

 

 

あなたは──そう言いかけたとき、またアレが襲ってきた。

 

 

「……ユキッッ!!」

 

 

声が近くでした。

でも、やっぱり誰がどこにいるかが分からない。それにしてもなんでこの人は私の名前を知ってるんだろう?

 

……それになんで私はこうも冷静なんだろうか。

 

ソレが私を襲う。ソレはぐねぐねとしていて、自分の意志を持っているようだった。まるで生きているかのように動いて棒立ちしている私を一瞬で捕まえ、闇へと連れ戻す。光が遠ざかったと思った瞬間、視界はすべて闇に覆われる。

 

そして私はそこにいた男の人を見てしまった。

 

動きに合わせて舞うように散らばる綺麗な銀色の長い髪が、闇を彩る。その隙間に見えるのは、人を射抜く真っ赤な眼と冷笑を浮かべる大きな唇。骨ばった輪郭にそれらはとてもよく似合っていて……

 

 

「あ」

 

 

その男の人は私の手を掴み、もう片方の手を私の腰にまわして私を動けなくした。

なんでそんなことするんだろう。

不思議でしょうがなかった。

私にはもとから逃げるつもりなんてなかった。男の赤い眼に魅入ってしまったんだと思う。日本人はもちろん、外人でも無さそうな赤色の目は妖しく光りながら、その瞳の中に私を映し出している。それがどうしようもなく嬉しかった。

しばらくの間お互いを見続けていたけど、目が合うとその男は無表情のまま驚く発言をした。

 

 

「ここで死ぬか……?」

 

 

男が出した、聞き慣れない低くて脅すかのように発せられた声が、私の身体を震わせる。けれど男は憎らしいほどに冷静な顔のままで私を見ていた。そして手を私の腰から首元にまわしたと思った瞬間、力をいれ始める。

ヒュッ、と息が悲鳴のような音を出した。

 

「……っ!!」

 

力の強さと、冷たい指の感触に驚いて男を凝視する。だけど男はさっきからなにひとつ変わらない冷静なままだった。感情の起伏が感じられない静かな視線。

怖い。

殺されるかもしれない恐怖よりも、なにをしてもなにも感じていないような赤い無機質な眼に恐怖を覚えてしまった。男から離れたい一身で満身の力をこめて暴れる。だけど、やはり男と女の力の差には勝てないらしく、びくともしない。

しかも男は徐々に手に込める力を強くしていくもんだから、息は苦しくなって、視界はぼやけてくる。

男の顔が近づいてきた。

 

私……死ぬの……?

 

そう思って、私は目を瞑った。諦めた?それもあるかもしれない。だけど、いいかもしれないと思った。同じことの繰り返しの日常。それが変わるのなら別にいいかって。

 

なによりも、この男に殺されるならいいかって思った。

 

なのに男は突然、今までどんなに抵抗しても力を緩めなかったその力を緩めた。おかげで私はその場に崩れ落ちて、急に入り込んだ新鮮な空気と肺に溜まってた二酸化炭素とで思い切りむせてしまう。頭がくらくらして涙で視界がぶれる。

 

……生きてる。

 

ほんのついさっきまでは死んでもいいかみたいなことを思ってたのに、いざ助かると嬉しくてまた新しい涙が出てきた。子供みたいに泣きながらむせる私の背中を、骨ばった感触の大きな手の平が撫でる。男の手だ。だとしたらその手は私を殺そうとした手のはず。

普通なら恐怖でしかないだろう。なのに私はその手にさっきまで感じなかった温もりを感じて安堵していた。その手が腰で止まる。呼吸が安定して、なんだろうと顔を上げた。

瞬間、強い力に引き寄せられる。顎に痛みと温もりを感じて、唇にも温もりを感じた。

 

キス、されてる?

 

驚いてしまってつい恐ろしく近い顔を凝視してしまったけど、目が合った合った瞬間すごい恥かしくなって、また目を閉じてしまう。訳が、分からない。ああでも、それでも嫌じゃない。この温もり、私、好きだ。

手と手が触れるような柔らかい感触。心地いいとさえ思って力が抜けてしまう。もうこの人は誰なのかとか、なにが起こってるかなんて考えもしなかった。

 

……あ。駄目。

 

やっぱり前言撤回。最初は軽く触れるだけだったキスが、徐々に激しくなってきた頃には動揺してパニック状態になってしまう。舌が、舌が!え、これ舌??!

キスの合間に聞こえる艶かしい音が私の中の冷静さを綺麗さっぱりなくしてしまう。必死で逃げようとしても、逃がしてくれない。

男の手が私の身体を這う。身体が冷えていたから、男の体温を強く感じてゾクリとした。

見知らぬ男で、しかも殺そうとしてきた男。そんな男にいきなりキスされて抱きしめられる。

異常だ。

なのに私は、男に強く抱きしめられれば抱きしめられるほど頭が茹だりそうな羞恥心しか抱かなかった。

呼吸を奪うキスが私に余裕を与えながらもねっとりとしたキスに変わっても、身体をまさぐられても、私はもう逃げようと考えることはなかった。

互いの肌が熱くてもう冷たさも感じない。気持ちよさと異常と感じる理性がぐちゃぐちゃに混ざっていく。

なにも邪魔しない静かな真っ暗闇。

私しかいなくてもよかった。でもそれは不安を生み出して、どうしようもなかった。

 

でもいまは――

 

手を伸ばす。

ドロドロした感情を言葉にできなかった。ただ確かなのは、この体温とその感触に感じる居心地の良さだ。指に柔らかい感触が絡む。きっとこれは髪の毛なんだろう。さらさら……。

気が遠くなるようなほどに時間が経った。そして男は、もう窒息するんじゃないかというぐらいにまで酸欠だった私に気がついたのか知らないけれど、急にキスを止めて息の荒い私に低い声で優しく囁いた。

 

 

「また……」

 

 

男はそこで言葉を止めて私をしばらく見つめる。そして初めて、その無表情の顔を歪めながら、切なそうに笑って私にキスをした。

同時にブラックアウト。色んな意味で。

 

 

 

 

 

 

 



 

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