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10.勇者

 

 

「描かれなかった物語10話

笑った勇者。

 

 

 

 

 

子供の声が響き渡る小さな村の中央にある井戸のすぐ近くに、真っ黒で長い髪を一つに束ねた一人の男が腰掛けていた。質素な生地でできた長ズボンに長袖姿で、その上から少しだけ模様の入った白の長布を身体を覆うようにして巻いている。その身なりからしてこの村の者ではない。

男は背中にかけていた楽器を手にとると、静かに奏で始めた。

 

 

「わーーっ!!お兄さんうまいねえ」

「ありがとう」

 

 

どこか哀愁を漂わせながらもつい足を止めて聞いてしまうぐらいに綺麗な音に、はしゃぎまわっていた子供たちは騒ぐのも止めて聴き入った。忙しく働く大人でさえ一時足を止めていた。そして男の演奏が途切れて数秒後、曲が終わってしまったのだと知った子供たちは小さな手を何度も叩きながら歓声を上げる。男は面食らったような顔を一瞬みせたものの、その顔を微笑へと変える。

 

「ねえ、お兄さんって吟遊詩人さん?」

「ああ。そうだよ」

 

癖を持つ髪を風に揺らして無邪気に問いかけてきた女の子の頭を撫でながら、男は更に笑みを深める。女の子の顔は真っ赤だった。

 

「この剣はお兄さんのじゃないのっ?」

「私のだよ。大切な剣だ」

「綺麗だねー……」

「お兄さん、剣使えるんだー!」

 

金色に光る剣をじっと端から端まで眺めながら子供たちは感嘆の声を上げた。

 

 

「僕もこんなに立派な剣を持ちたいなぁー」

 

 

物欲しそうな目で剣を見る少年の言葉に、男はなにか言いたげに口を開いたがすぐに閉じる。そして楽器を置くと、しゃがみこんで少年と視線を合わせた。

目に映るのは不思議そうに開かれた素直な目。

 

「大事なのは剣を使う自分だよ。どんなに立派な剣を持っていたって目的が、自分の気持ちが分かっていないと不幸を招くだけだよ」

「……?お兄さんは、不幸を招いちゃったの?」

「どうかな。……ただ、剣を使う時代が来なくなればいいと思うよ」

「よく分かんないや」

「ああ、そうだな。すまない。……いつか思い出してくれ」

 

その小さな身体で想う心はこれから来るだろう“いつか”のためにとても大切なものだ。いま、分からずともいい。

記憶の端にとどめるだけで。

必然的に来るその瞬間に、改めて意味を問えるように。

 

「お兄さん、他の曲弾いてよっ!」

「そうだ弾いて弾いてっっ!!」

「俺、勇者様の唄が聞きたいっっ!!!」

「あっ僕も!」

「聞きたいーー!!」

 

一人の少年の言葉を機に、気が付けば子供たちは勇者様っ!勇者様っ!と声をそろえてねだる始末。男は苦笑いを浮かべながら楽器を手に取る。子供たちから歓声が上がった。

 

 

「……じゃあ、少し変わった勇者様のお話をしようか」

 

 

子供たちは男の言葉に瞳を興味に輝かせながら口を閉ざす。静まり返った空間に、子供の声が聞こえないことを訝しがった住人が家から顔をのぞかせた。外を出歩いていた大人たちはいつのまにか壁にもたれかかっていたり、石に座り込んだりして男の唄を聴く体勢をとっている。なにせ小さな村だ。外から人が来ることが少なく加えて村にこれといった遊びもないもんだから、吟遊詩人としてやってきた男は村人にとって新鮮な存在で興味の対象となる。

男はそこらじゅうから刺さる視線に困ったように笑ったが、すうっと息を吸って曲を奏で始めた。寂しい音色だった。

 

 

 

名もなき物語

描かれなかった物語

されどそれは確かに存在した

 

光が絶え緋色に染まる世界で一人の少年が闇を知った

朝と夜の狭間 全てが消えた時間

緩やかに崩れいく世界に雨が落ちる

少年は泣くことも聞くことも叶わず緋色の雨に染まった

 

暗い暗い世界に少年の金の髪が軌跡を残す

平和を 暗闇を望んだ少年

少年も雨になって地面に隣り合わせ

小さな手にのせた錘は宝物のよう

 

身勝手な勇者様

金色の髪がはねている身勝手な勇者様

最後の言葉の意味を教えてくれない 笑った身勝手な勇者様

ありがとう

ありがとう

 

願わくばこれが届きますように

少年よ

勇者よ

世はいまは穏やかで緩やかな時間を過ごしている

笑みの零れる世界だ

 

この世で私は行きましょう

いつかいつか

私は答えを見るだろうか

泣いて笑った勇者様

できればその隣で共に泣き共に笑おう

誰よりも穢れ誰よりも穢れなき勇者よ

共に連れ立った想いを手にいま笑っているだろうか

勇者にならなかった勇者よ

どうか幸あれ

幸あれ

白の道しるべに黒の指針を手に

笑い声を乗せて

どうか幸あれ

これは名も無き物語

描かれなかった物語──

 

 

 

……曲が止む。

村人たちは男の低く憂いを含んだ声と、幻想的な音を産む出す楽器の音色に心を奪われながら一人二人と手を叩き始める。さざなみのように広がった拍手は最後は大きな拍手となった。

次の曲も聞かせてくれと上がる声の中、一人の少年が男を凝視した。

 

 

「お兄さんはその勇者様に会ったことがあるの?」

「……ああ、あるよ」

 

 

周りでは子供たちが両親の元へと走っていって覚えた感動を話している。賑やかだった。

 

「その勇者様って、本当に勇者様?悪い奴倒したの?勇者様っていうのは悪い奴をやっつけるんだよっっ!?」

「私にとってはあの子が勇者だよ」

「でもっ!本当はお兄さんが勇者様でしょっ!!ほらっっ!!!」

 

そう言って少年はどこからか小さな絵本を取り出して、それを男の目の前で広げて見せた。

 

 

「お兄さんそっくりだよ!お兄さんなんでしょ?勇者様って!!」

 

 

期待に満ちた瞳で見てくる視線に困ったように男は眉を寄せる。そしてぽんっと少年の頭に手を置いた。

 

「勇者様っていうのは、なんだろうな」

「……?」

「私にはその意味は分からない。だけど、あの子は私にとっての勇者だったんだ」

 

少年は意味が分からないといったように眉間にシワを寄せ始める。そしてなにか言おうとして口を開きかけたが、それは遮られた。女の声だ。

 

 

 

「お、教えて、ください……っ!教えてください!その少年の名はっ!!」

 

 

 

悲鳴のような女の声。振り返れば、長い亜麻色の髪を持つ女が男の下へとよろめきながら近づいてきていた。男は驚きのためか目を見開き、女を凝視していた。少年は女を見て言った。

 

「ナーシャおばちゃん?」

「名前は……!」

 

男と女は見詰め合って互いに相手の言葉を待っている。時が止まったかのように、この場所だけ空間が別のものになったように感じられる。

そして長い間のあとに、ようやく男は言葉を発した。

 

「ヴァン、と」

「ヴァン……ッ。お、教えてください。ヴァンのことを。ヴァンのことを教えてください!どんな姿で、いまは……いいえ。どんな最期だったのか教えてください」

 

涙を目に浮かべる女を見て、男は生まれて初めて神に感謝した。脳裏に蘇るのは少年の笑顔。

男はすがるように問いかける女を支えながら移動させ、さっきまで自分が座っていた場所の隣に女を腰掛けさせた。少年は不思議そうに女を見ている。

 

「ああ。長い、話だ。座りましょう……。私の名はクォード。あなたは?」

「ナーシャと申します」

「そうか、ナーシャ。ヴァンが昔言っていた。人を殺してきた自分だが救った人間もいるのだと。賊に襲われた馬車の中の女の子……あなたなのか?」

「はい、はいっ……!」

 

ナーシャは堪え切れなかった涙をこぼしながら何度も頷く。そのときのことを思い出しているのだろうか。クォードはナーシャを見て胸に沸いた気持ちにすこしやりきれなくなった。ナーシャはその外見から20前後ぐらいだろうと考えられる。ヴァンが生きていたなら、ナーシャまでとはいかずとも大きくなっていたのだろうかと思ってました。

 

「命を、救ってもらいました……。なのにあの男の子は、ヴァンはなんでもないように笑っていました。私よりも小さい子供が人を殺して平気なはずがないのに、笑っていました……っ!それが分かっていながら私はなにもできなくて、ただ謝ることしかできなくて……っ!!勇者になるって!勇者になるって、言ったヴァンを止めることが出来なかった!!血に染まったヴァンを見て、このままじゃ死んでしまうって思ったのに止めれなかった!!!役に立ちたかった。せめて、ヴァンの手助けができたらって思った……。あのとき初めて会ったけれどっ!けれど、悲しそうに笑ってたんです。だから助けたかった!!でも、ヴァンは血に染まったハンカチを選んだだけで、私は、なにもできなかった!!」

 

堰を切ったように話すナーシャの背中を撫でながらクォードはこみ上げてきた涙を堪えた。

物語はこんな場所で息づいていた。

ヴァン、聞いているか?お前を想って泣く奴がいるんだ。

 

「ヴァンは感謝しているよ。なにもできなかったってことはない。ヴァンは、ナーシャから貰ったハンカチをずっと持っていた」

「も、持っていた……?あれからもずっと持っていたの……?」

「ああ。大事に持っていた。死の最期、俺の渡した剣とハンケチを握りながら……ありがとうと呟いて逝ったよ」

「……うぅぁっっ!ああっ!!」

「最期は笑っていた」

「ああああっっ!!!!!」

 

咽び泣くナーシャを支えるクォードの頬にも涙が伝っていく。

いまこの時間は過去の記憶に浸ろう。亡き者を想って、亡き者をいまに蘇らせ、語ろう。

 

「……ありがとう」

 

小さな温もりを感じて目を走らせれば少年が頬に伝っている涙を拭いてくれていた。少年はナーシャとクォードを見てうろたえているようだったが、それでもずっとクォードの涙を拭っていた。

 

「名前はなんていう?」

「ダルタ」

「私はクォードだ。よろしく、ダルタ」

「うんっ!!」

 

……ああ。人はなんてこんなにも温かいものなんだろうか。

こうして繋がっていくのだろう。目に見えない、例えば絆というものが繋がって繋がって……もしかしたらいつか円となるのかもしれない。

今日ヴァンという人間を伝ってナーシャとダルタに出会えたように。

ふと、クォードはダルタと同じぐらいの少女だったフィリを思い出す。

ヴァンが死んでラッジュも死んで全てが終わったあと、クォードはまた一人旅に出た。今度は使命もなにもなく世界を見て周る旅に。ヴァンの見ることがなかった世界の変わりざまを目に焼き付けておきたかったのだ。といっても、勇者として知られるクォードはすぐに人に知れ渡って騒ぎとなる。クォードは旅にあたって、いままで身に付け続けていた黒の装束を全て捨てて、旅人が広く用いる服へと着替えた。

 

戒めとして着ていた服を脱ぎ捨てたとき、終わったのだと今更ながら感じ妙な寂しさを覚えて数ヶ月。一つの町で吟遊詩人をみかけた。勇者を謳う吟遊詩人を見て……同じようにヴァンのことを誰かに伝えたくなった。ヴァンという少年が生きていたのだと、この平和を作った人間なのだと、その少年の生き様を誰か一人でもいいから誰かに知ってほしかった。クォードはいままで生きてきたなかで剣以外に握った物はなかった。しかし、込上げてくる想いに任せて楽器を握って言葉を乗せた。

遠く、遠く響くように。伝わるように。

 

そしてあの日から一年が経過してクォードはラーテルンへと向かった。……時期が重なったのだろう。ラーテルンの城の周りでは白い花びらをつけるラシュラルが咲き誇っていた。

城門に控えていた門番にフィリに会えるように願ったが、一介の人間にお姫様と会える機会などあるわけがなく追い返された。しかし、誰かがクォードを勇者だと叫んだとき状況は一変し、結果的にフィリと会えることとなった。

 

あのときのフィリの顔を忘れはしないだろう。俺を見て嬉しそうに笑い、そのあとなにか探した顔を。

 

 

 

 

 

 

 

++++

 

 

 

「久しぶり、か。……元気そうだな」

「ええっ!もちろんよっっ!!」

 

 

二人で話したいと王に頼んだフィリの言葉によって、場内にある豪華な庭園で話すこととなった。そこはラシュラルであふれていた。風で頼りなげに揺れている。

 

「毎日見ると言っていたが、本当に毎日見てたんだな」

「もちろんじゃないっ!ここは綺麗よ。……一番綺麗」

 

庭園に案内されるとき、フィリは戸惑うことなく一直線に咲き誇るラシュラルを見渡せる一番の場所へと歩いて行った。それに苦笑いが浮かぶものの、その意味に泣きそうになる。

 

「……婚約者とうまくいっているみたいだな。家を出るまでに嫌がっていたがなかなかいい青年じゃないか」

 

城でフィリと再会を果たしたとき、王とも見える機会がありそこにフィリの夫を紹介された。高身長の少し鍛えられた身体が垣間見える男だった。フィリを見守る目は優しく、自分を勇者として讃えながらもクォード自身も見てくれた人物。パツパツだとか太っているだとか言っていたが違うじゃないか。

すると、クォードの言葉に以前と違い背も伸び大人びたフィリはすぐさま反応して、一歩後ずさってしまうほどの迫力でもって叫んだ。

 

「そうさせたのよっ!私が太っちょを許せると思うっ!?私の夫になるんだったらそれ相応の男になってもらわなきゃっっ!!!あの日帰ってすぐにあいつと会ったときに言ってやったわよ。痩せろってね!そんな姿で私の横に立つつもり?不相応よ、って言ったらなんか泣いてたけど頑張ったみたいよ。いまはそれなりに見れるでしょう?」

 

相変わらず天使みたいに愛らしい顔で語る言葉は悪魔よりも毒舌な言葉。クォードは口をひきつらせながら先ほど握手を交わした男を想って、心の中でだけだがつい労わりの言葉をかける。

 

「でも、幸せなんだな」

 

ここまで言われる夫を気の毒に思いながらも、フィリと話していたその姿は、またフィリも夫と話しているときのその姿は、傍から見て分かるほど仲睦まじく幸せそうだった。フィリは少し頬を染めた。

 

「ま、まあね。結構幸せよ」

 

そんなフィリを見てクォードは笑う。フィリはご立腹だったが、次第にクォードと同じようにして笑い始めた。そして、その笑いが止まったとき表情が変わった。クォードは無言でフィリの小さな唇が動くのを見守った。

 

「ヴァンは……死んじゃったのね……」

「ああ」

「最期を看取ったの?」

「ああ」

「死んじゃったのね……」

 

フィリの頬を涙が伝う。その涙に応えるようにして、風に吹かれたラシュラルがゆらりゆらりと揺れて数枚の花びらが宙を舞った。

 

「もうあの笑顔を見れないんだ。話すこともないんだ」

「ああ。もう、ない」

「私、ヴァンに会いにいく。……どこに埋葬したの?」

「お前に言ったら一人で行きそうだからな」

「大丈夫よ!クォードが連れて行ってくれるでしょう?」

「そういうところは変わってないな」

「ありがとう、クォード」

 

赤く腫れた目を弧に描きながら微笑むフィリにクォードは観念して肩を落とす。その姿を見て、当たり前でしょう?といわんばかりにフィリは満足そうにまた笑う。そして勇者という世の肩書きが利いたのかフィリを必ず無事に城へと戻すという約束の上、クォードはフィリとお城を出てダイロドナスへ、聖剣の眠っていた森へと向かって行くこととなった。そこは前訪れたときと変わらず光り輝く湖があって、静かで……小さな塚が一つあった。

神聖に感じるその場所をフィリは目を瞬かせながら眺めたあと、塚の前へと歩み寄り地に膝をついた。そして手を塚につけて、まるで誰かの頭を撫でるようにして何度も動かす。

 

 

「……ヴァン、久しぶり」

 

 

そしてフィリはこの一年会ったことを事細かにヴァンに語りかけて、最後は目を閉じ手を額につけて祈りをささげた。

 

「もう行こう。フィリ」

 

その姿を黙って見続けていたクォードが口を開いたときには、日が傾いていた。フィリは涙に濡れた顔を起こして頷いたあと、ラシュラルを塚に捧げた。

 

「またね、ヴァン」

 

“また”

その言葉がクォードの耳に焼きついた。どこか希望に溢れた言葉だと、想った。

 

「またな、ヴァン」

 

クォードも呟いて、フィリと森を出た。

 

 

 

 

 

++++

 

 

 

「ご、ごめんなさい。服を汚してしまったわ……」

 

 

胸の辺りで聞こえた掠れた声にクォードは我に帰る。見れば泣いて落ち着いたのかナーシャが気恥ずかしそうに涙で濡れたクォードの服を見ていた。クォードは笑う。

 

「気にすることはない」

「い、いいえ!駄目です。ちょっと待っていてください。着替えを持ってきます」

 

言うが早いかナーシャは走り出した。……甘えるか。ナーシャを止めようと思ったものの服の替えがあまりないことを思い出して、クォードはナーシャの好意に甘えることにした。ダルタが、ナーシャおばちゃんってそそっかしいんだよな、と言った言葉に少し笑ってしまう。すると、その声が聞こえたのかどうかは分からないが、急にナーシャが動きを止めたかと思うと振り返り、叫んだ。

 

「あっ!え、えっと。クォードさん」

「?」

「時間があれば、ヴァンのお墓まで案内してくれませんか?」

「……ああ。喜ぶ」

「ありがとうございます……っ!」

 

そしてペコリとお辞儀してまた走り出した。

 

「ダルタ。お前ももう家に戻りな。もう昼時だろう」

「え?……え。……うっげぇ!母さんから頼まれごとあったのに!!忘れてたっっ!!」

「ははっ。急げ」

「う、うんっ!!またね、クォードッ!!」

「またな、ダルタ」

 

賑やかな二人がいなくなって、とたんに静かになった。村人は訳ありらしいクォードとナーシャに遠慮して家の中に入っていたので、いまは村の外にいるのはクォードだけだといってもいいぐらいに静かだった。クォードの心はいままでにかってないほどに穏かだった。平和になった世界を見て周り、そこで色々な人と出会った。そして最近は懐かしい人たちに出会って亡きヴァンのことを話せれる人とも出会えた。過去を共に語り、今を語り、未来を語れるものがいるということはなんて素晴らしいのだろう。ふと、走り去ったナーシャが脳裏に浮かぶ。幼い頃に一度出会ったきりだったヴァンを、唄にあった少ない情報ですぐにその少年が誰かと分かるまでに想い続けていた。そしてその死を惜しみ泣くことのできる人間。

 

優しい、女だ。……泣いた顔ばかり見ている。笑ってくれたらいい。

 

そこまで思って、そう思った自分にクォードは笑ってしまう。初めて出会ったのだというのに。

昔の自分が信じられなくなるほどに、世界は平和だった。穏かで、懐かしいものに溢れていて──だからだろう。このときクォードはいつになく警戒心を捨て去り、気が緩んでいた。

それは突然に訪れた。

ヴァンの勇者の人生が絵本に描かれることのない物語だとしたら、これもまた、描かれることのなかった物語。

 

 

「……え?」

 

 

痛みは、長い間の後から。

クォードはゆっくりと視線を違和感のある場所へと移していく。

ちょうど脇腹あたり。

そこは、赤く赤く染まっていて……。

鈍く光る、鋭い剣先が肌から突然姿を現していた。ズキリ、と痛みが体中に広がっていく。

 

 

 

「ラッジュの……ラッジュの仇よ……!!!」

 

 

 

背後から聞こえたのは嗚咽混じりにの女の声。涙交じりの声を聞いて、クォードは知った。

ああ、刺されたのだと。

奪えば、奪われる 。

自分の意志とは関係なく力が抜けて身体が倒れていく。地に身体が打って少し痛かったが、どうにもそれを人事のように感じていた。ただ息がしにくい。熱い。

 

「あなたが、あなたが悪いんだから……!!」

 

ぼろぼろと零れていく女の涙が目に映る。その顔を見て、クォードは異様に震える身体に力を込めてゆっくりと身体を起こした。女の身体がびくりと恐怖に弾む。

クォードは女を見上げる。その姿は昔初めて出会ったときよりも髪が伸びていて肌は荒れていた。涙を零し続けるその姿にいつかの自分が重なって、そうした自分を呪いつつ……いまの状況を受け入れた。そして、ずっと伝えたかった言葉を発した。

 

 

 

「感謝、している。ラッジュを支えてくれて」

 

 

 

思いのほか、言葉はしっかりしていた。

 

「うるさいっ!うるさいっ!あ、あああっっ!!!」

「ありがとう。すまない……」

 

まずい。視界がぼやけてきた。

視界に、なにか腕の中に抱え込んでいるらしい誰かの姿が目に映る。ナーシャだ。遠くから小走りにこちらへと向かってきている。

……幸い、傷口はナーシャに見えない位置だ。

 

「逃げ、ろ」

「……えっ?」

「逃げろ」

「なに、を……」

 

「逃げろっ!!」

 

クォードの叫び声に女は走り出す。

 

 

「あ……り、がとう」

 

 

クォードは小さくなっていくその背中に小さく呟いた。それは懺悔で、考えられる限りの感謝の言葉だった。できれば俺のことを悩んで思いつめて泣くようなことがなければいい。

クォードは願いをかけたあと小さく深呼吸をする。そして震える手で赤く染まった長布を移動させて血を隠し、代わりに真っ白の布を血で溢れる場所へと移動させた。まだ、耐えられる。それはまでは──

 

「お待たせしましたっ!」

 

少し荒れた息とともに聞こえた声の持ち主ナーシャを見れば、先ほどずっと泣き続けていたせいで目が腫れていたがにっこりと満面の笑顔で笑っていた。

ああ、この顔が見たかったんだ。

クォードは微笑む。

 

「先ほどの方はお知り合いだった……どうかしたんですか?」

「いや」

 

女を見たのだろう。しかし、訝しげに問いかけてくるところからみるに女がしたことを見たわけではなさそうだと感じ、ほっと安堵の溜息を吐いた。

気が緩んだと同時に身体が震え始めるのに気が付いて、拳に力を込めた。

 

「ナーシャ。ラーテルンに……フィリアンという王女がいる。知っているか……?」

「え?ああっ!知っています!!とても聡明な方ですよね。幼いですのに凛としていて……どうかされたんですか?」

「い、いや」

 

聡明、凛としている。そんな言葉を聴いて思わず笑ってしまう。笑うと同時にいままで感じたことの無い痛みで眩暈を起こしそうになるのに、それでも笑ってしまった。そうだな、フィリは無邪気で子供だがあれで聡い子だ。フィリ。お前はこれからも国を治めることができる。現に国民に認められている。

 

「クォードさん?本当にどうしたんですか?具合でも悪いんじゃ……」

 

クォードの額からは脂汗が浮き立っていて、浅い息を何度も小刻みに繰り返している。もはや普段とは様子が違いすぎる。ナーシャの手がクォードの額へと伸びる。

 

「フィリはヴァンの墓の場所を知っている。……すまない。俺は、案内、……できそうにない」

 

何度も呼吸をしては止めて吐き出されていく言葉に、ナーシャの表情に不安が浮かんでいく。

 

「クォードさんっ!少し家で休みましょう!服も着替えないと汗が……え?」

 

ナーシャの手から握られていた服が数枚落ちていく。ぱたりぱたりと重なっていくその姿がいつか見た光景に重なって、クォードは目を細めた。

 

「すまない……。服も、着れそうに、ない」

 

ナーシャは震えながら自分の手を握るクォードの手を凝視している。……真っ赤だった。

そして、突如感じていた力の重さが消えたかと思うと目の前でゆっくりとクォードが倒れていく。

 

 

「クォードッッ!!!!」

 

 

ナーシャの悲鳴に何事かと家から人が出てきて、倒れるクォードを見て叫んだ。騒ぎが大きくなっていく。

クォードは徐々に重たくなっていく瞼のために消えていく景色の中、駆け寄ってくるダルタや、流れていく血を止めようと自分の手で傷口を押さえているナーシャが目に映った。

ああ、ヴァン。

お前もこんな想いだったのか?

なにか言いたいのに、言えない。ひどくもどかしい。もうその力がない。

 

生きたい。

生きたい……。

 

折角服を持ってきてくれたのに悪いことをした。ナーシャとまだ話していたかった。ダルタと少し勇者の話でもしてみたかった。まだまだ世界を見て周りたかった。もう一度、ラシュラルを見たかった。あの場所へ行きたかった。

ああ。

自分はいま言葉を発しているのだろうか。もう、なにも聞こえない。

もう瞼は完全に視界を消していた。なにも見えない。

けれど、手になにかゴツゴツとした物の存在を感じた。それは手に馴染む感触。

聖剣。

そして、最近ようやく馴染み始めた楽器。

もどかしいほどに動かない身体を動かして必死に自分の元へと手繰り寄せる。

 

……ああ。

 

大丈夫だ。こんなにも心安らかだ。

言いたいことはたくさんある。それでも、もう言えない。けれどその想いを全て合わしてみれば、一つになった。気が付けば、想いは言葉に。

 

 

 

「ありがとう……ありがとう……ありがとう」

 

 

 

クォードは微笑んでいた。

もう二度と、動くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

勇者は消えた。

勇者が誰かも、勇者がどこへと行ったのかも人々は知らない。

それを知る者はほんの一握りで、けれど彼らにとって勇者は勇者ではなく一人の人間として記憶にいつまでも残った。

 

勇者はいない。

 

 

 

 

 

++++

 

 

 

森の奥に小さな小さな村があった。家は数軒しかなく人も少ないが、家畜の動物は自由気ままに寝転がり、子供たちが叫びながら走り回るような長閑な村だ。大人たちは汗を流しながら新しい家を作っていた。

その中で一人、長い亜麻色の髪を持つ女が二つの小さな塚の前で祈りを捧げていた。

 

「ここに村が出来るんですよ。……賑やかになります」

 

さわさわと風が吹いて、木漏れ日がキラキラと輝く。

 

 

「あなたたちの、私たちの村です」

 

 

女は立ち上がって賑やかな声が聞こえるほうを向いた。湖で子供たちが遊んでいる。楽しそうに笑う姿を見れば、そこで泳いでは駄目だと注意する気がひけてしまう。森の奥にある湖で発見された水底にある像は、人の手に持てるものではないとしてこの村の守り神として崇めることとなった。けれど、子供たちにとってはその場所は神聖な場であり大事な遊び場でもあるのだろう。子供たちの両親から咎める声が聞こえてきたものの、子供たちは臆することなく潜って像を見ている。けれど……それは決して悪いことではないと思う。

 

神様だって、崇め奉られて一人でい続けるのは寂しいだろう。

 

……そう考えてしまうのは人間が故の傲慢さからかもしれないけれど。

それでも、笑い声が聞こえて人々の働く汗が光り輝き心地よい風の吹くこの世界は──

 

 

「平和ですよ。ヴァン、クォード」

 

 

風に揺れて木々がざわめく。

まるで女の言葉に応えるかのように。

 

 

 

 

これは、描かれることの無かった物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

書いていてとても悲しいお話でした。

 

勇者に憧れた少年に、勇者になんかなりたくなかった青年、憧れて欲しがった青年、友を助けたかった青年、孤独を愛した女、無邪気で大人な少女、過去を悔いる父親、拒絶する母親、望む未来の違う人々と悪党、奪う村人奪われる悪党──

 

お話にはいろんな視点があります。

ひとつじゃないのを忘れてしまいがちになる自分に書いたお話かも。

 

 

ともあれラシュラルの話1話「描かれなかった物語」これにて終了です。番外編でラッジュ側のお話も少しさせて頂きます。

よければ続けてラシュラルシリーズ第二話「途切れた物語」も宜しくお願いします。

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 



 

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