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09.平和

 

 

「描かれなかった物語」09話

背負って生きる。

 

 

 

 

 

さわさわと、優しい風が吹いている。森という天井が消えて光が注がれるその空間には、透明な水がキラキラと輝く湖があった。

その空間は誰にも侵されたことがないかのように神秘に満ちていて、静かだった。鳥が鳴き、獣が徘徊する音が鳴るだけ───否。人がいた。

 

人、青年は石像のように動かない。小さな塚の横の木にもたれかかる青年の身体には、頭上から落ちてきただろう葉がいくつか積っていた。青年は動かない。

その空間はただ静かだった。まるで時が止まった世界のようだ。

けれど例え同じに見えても、どれひとつとして同じ姿を保ち続けることはない。すべては残酷なほど変化し続けている。生物も風も大地も空も、すべて。全てのものに時間は平等に過ぎて、最期をもたらす。そして最初を生み出す。

 

青年はそれを否定するように動こうとしなかった。動こうと思ったとしても体が動かないだろう。青年はぼんやり思う。もうこの状態で何日が経っただろう。

青年はただ自分が死ぬ瞬間を待っていた。体の上を虫が歩くのも普通になった。だけどまだ耳が聞こえる。肉を待っているのか、夜中に伺ってくる獣は大分距離を近づけ始めた。だけどまだ目が見える。

青年は、あんなにも美しいと思った光景を気が向いたときに眺めていた。そして無意味だとばかりにまた目を閉じる。だけど、青年は生きていた。

風が吹き、青年の髪が揺れる。そんな力ない揺れでも青年には大きな衝撃だったのか、ぐらりと身体が傾いて地面に倒れた。

 

 

「ぅ……」

 

 

青年は小さなうめき声を上げて僅かに眉をひそめる。目は閉じたままだった。

なにも映すことはない光景は青年に安息を与える。

なにもない。

なにも。

色の無い世界はこんなにも安心する。けれど、同じ分だけなにか忘れたような虚脱感が肩にのる。

サビシイ、ツライ。

そんな感情はない。

ウレシイ、シアワセ。

なにもない。

青年は浮かんだ気持ちを否定し、最後は疲れてなにも考えなくなった。もう絶望するのはこりごりだった。またあんな気持ちを味わうぐらいなら最初から何も知らないほうがいい。

何も感じず、何も知らず、無知でいて全てに目を閉じて拒絶してしまおう。なのに……まただ。ふいに言葉にできない、妙な感情が湧きだってどうしようもなくなる。

死にたかった。なにもかも忘れて楽になりたかった。

俺だけが生きている。

いつも残る心に残る言葉に、青年はもう嗤うこともなく目を閉じ続ける。暗い、暗い世界。陽の光を隠してくれる。なにも考えなくて──。

ふ、と気がついた。肌になにか這っている。遠くなりかけていた意識が覚醒して、青年は目をあけた。見えたのは血や土で汚れた肌に動き回る小さな生き物だった。

 

「ア……リ?」

 

蟻はその小さな体を動かして青年の指から腕へと移動している。生きている。そんな当たり前のことを青年は思った。この蟻は生きている。

蟻は触覚を動かしながら、細すぎる足で彷徨っていた。同じところをぐるぐると回る姿はなにかを探しているような所作で、青年はなにを思ったのか蟻のいない片方の腕を地につけて身体を起こした。体は軋むばかりか、ガクガクと鈍い動きをしていて少し震えもする。それでも青年は手を動かした。蟻は突然の揺れに慌てたのか、先ほどよりも速いスピードで手を這っている。

青年は昔誰かから聞いた話を思い出していた。蟻は身体から特殊な分泌物を出していて、後に続く蟻はその匂いを辿る。それがゆくゆくは蟻の行列になっていくのだと。

 

「はぐ、れ、た……の、か?」

 

一匹で動く蟻。

食料を探すという目的のために歩き回り、道を見失って、仲間からも離れてしまったのだろうか。

青年は辺りを見渡す。近くにあればと思った。そして、それは正解だった。すぐ近くにある木に樹液が垂れていて、そこに蟻の行列があった。

青年は緩慢な動作で足を曲げ、立ち上がる。多少ふらつきながらも蟻の行列がある木まで歩き、手をべたりと木にはりつけた。最初手に乗っていた蟻は青年のほうへと移動したが、青年が片方の手で阻むと次はちゃんと木のほうへと移動した。蟻は蜜のある場所へ、他の蟻がいる場所へと辿り着く。

それを見届けた青年は、知らぬうちに笑みを零していた。

よかった……。

安堵を覚えた次の瞬間、急に強い喉の渇きを覚えた。

 

「み、ず」

 

足は自然と湖へと移動していく。

どこから溢れているか分からないその湖は少しも枯れることなく潤っていて、その瑞々しさに青年はごくりと喉を鳴らす。数歩歩いて青年はようやく湖の際に辿り着いた。そして、手を無造作に湖へと入れたかと思うとその両手に水をすくいあげ口へと運び、息をつくこともせずに飲み始めた。何度も何度も波紋が生まれて広がっていく。青年は夢中になって水を飲み続けた。

 

「はっ!……ぐっ、あ」

 

急いて水を飲んだためか青年は咳き込みその場に崩れ落ちる。髪がちゃぷりと湖につかり額さえも水面に漬かっていたが、青年はそのひんやりとした感触に身を委ねていた。

乾いた喉は咳き込むほどに水を飲んだからか潤っていて、渇きなど微塵も無かった。

かと思えば、いままでは全く苦に感じなかった空腹を感じて空っぽの胃が悲鳴を上げ始める。しまいには気持ちが悪くなってくる始末だった。

──本当に、なんて浅ましいんだろうな。

青年はぼんやりそう思う。だけどほんのついさっきまで青年の心に巣食っていた暗く重たいモヤは消えていて、青年は自嘲するわけでもなく、ただ、自分の気持ちを確認して呟いた。

 

 

「いぎ、たい」

 

 

うまく声が出なくて、声が掠れる。

それでも青年は自分が出した言葉をしっかり聞いた。生きたい──青年の頬に涙が伝う。

死にたい。

死にたくない。

生きたい。

生きたくない。

生きたい。

 

 

「くっ、う。……あっ、ああっ!」

 

 

許されない。

生きたい。

許せない。

生きたい。

青年は泣きながら水を飲む。胃が受けつけず吐きもしたが、また、水を飲む。だけど今度はゆっくりと──喉を水が通る。

ごくりと飲み込んで、青年は笑った。美しい景色が見える。獣の声や動く音が、風の温かさ、日差しの眩しさが分かる。

湖の波紋がおさまって湖の底の世界が姿を現した。それは聖剣を手に入れる前にも見た、祠と人々を象った大小さまざまの石像。そして、いまは空になった台座。

 

 

「……ヴァン。俺は、後悔してるんだ」

 

 

青年、クォードはそう呟いたあと背後に立っている小さな塚を眺めた。そして、居住まいを正して目を閉じた。脳裏に、蘇る光景がある。

聖剣を手に入れたときのこと──

 

 

 

 

 

「じゃあ待ってろ」

 

ヴァンに言い残して飛び込んだ湖の中は思いのほか冷たくてクォードは顔をしかめた。油断して口から大事な空気が零れてしまう。体を慣らしてから入るべきだったと少し後悔をする。かといってこのまま戻るのはどうにも憚られた。

ヴァンの顔を思い出して、クォードは眉を寄せながら強く水を蹴る。戻りづらかった。ヴァンを弟みたいだと言ったとき、ヴァンは戸惑いながらも嬉しそうに僕のお兄さんかと聞いてきた。そうだと肯定するのが気恥ずかしくて、でも口に出した言葉は本当で、どうしたらいいか分からなくて……逃げた。そしていま水の中。

なにをしているんだとは思いつつも、つい笑ってしまうのはこの穏やかな気持ちがそうさせるのだろうか。

らしくないと思いながらクォードは早くヴァンに聖剣を見せてやろうと急ぐ。

 

徐々に近くなっていく水底に見える聖剣はまるで光を放っているかのように輝いていて、思わずあの剣を地上でこの手に握ればどう見えるのかと考えてしまった。それほど近くで見る聖剣は美しく、神々しかった。

そして、それは周囲に並ぶ石像も同様だった。詳細に彫られたその石像は一人一人の人間を象っていてそれぞれの表情も服も違っていた。台座より下に立つ多くの人間はなにかを求めるように悲鳴を上げるようにその表情を歪め、空へと手を掲げている。そして、台座の前に立つ人間はざっと見る中では一番に豪華な服を着て両の手を空へと掲げながら眼下に集う人間に応えていた。その人間の顔は王が持つものと同じものだった。威厳に溢れ、少しの笑みを口に保ちながら堂々と胸を張っている。

この、なにかを表すかのような光景に一瞬手足の動きを止めてしまう。

だが動きを止めた瞬間体が浮上し息も辛くなってきたことを感じてすぐさま身体を動かす。そして、ようやく聖剣に手が届くかというところだった。

声が響いた。

 

 

 

「汝、なにを望む」

 

 

 

突然の声に、加えて背後で聞こえた声に驚いてクォードの口から空気がごぼりと溢れる。水中で動かしにくい身体を動かして振り返ると、そこには集う人間を見下ろしていたはずの人間がその向きを変えてクォードを眺めていた。

目が、合った。

そう感じた瞬間、突如身体が落ちた。

 

「なっ!?こ、れは……っ?」

 

祠と人間の集まる周囲に、これが見間違いなどではなければ……透明の膜が張られていて、それが水を絶っていた。水底にいるはずのこの場所にまったく水がない。そればかりか息ができる。

クォードは驚愕に顔を染めながら、こちらを見下ろしてくる“人間”を見る。

“人間”の口は開かない。だが、また声が響いた。

 

「汝、なにを望む。聖剣を手になにを望む」

 

これは、神か。

側には神々しく光る聖剣。そして目の前には決して動くはずのない、人ならざるものがいる。クォードはちらりと視線を台座の下へと走らせる。そこには、じっとクォードの顔を覗き込む幾人もの人間がいた。ありえない状況。そうしたものは、おそらくいま目の前にいるこの“人間”。

 

「あなたは神か?」

「神は創られしもの」

「では、あなたは一体何者だ」

「汝は、己を何者とする」

 

クォードはその問いに口を閉ざす。俺は、俺だ。それ以外に表すものはなにもない。だが、俺というものはいったいなにだ?俺が俺であることをどう証明できる?

 

「汝、なにを望む」

 

試されているのだろうか。もし望む答えを言わなければ聖剣は手に入らない?答えを望む“人間”を見上げながらクォードは唾を飲み込む。どう答えたらいいのだろう。

望むのは聖剣をこの手に手に入れること。

では、なぜ聖剣を手に入れたいんだ?

『裁断者として親殺しのラッジュを殺してきなさい』

──人殺しの自分がする忌まわしいことを、兄を殺すことを、聖なる物を持つことで少しでも正当化したかった。

『助けてください』

──平和のために。……世界のために?違う。

『……ねえ、クォード。僕はね、もう戻れないんだよ。勇者にもなれない。アイツラにもなれない』

──その辛さを知ってる。幸せであってほしかった。

 

 

「汝、なにを望む?」

「……幸せを望んだんだ」

 

 

ラッジュ。

最初はお前へ。

次は、お前を追う度に見た嘆き歩く人へ。

そして……、ヴァン。お前に。

 

脳裏に悲しそうに笑う少年の姿が焼きついて離れない。

幸せを、少しの幸せを願った。叶うなら大きな大きな幸福を。

誰もが辛さを持っていた。少しその人の人生に関わって初めてそれを知った。自分で斬って殺した賊にも、その人なりの辛さがあるのだと知った。そうでしか生きられない辛さ、思い通りにいかない辛さ、決して叶わない望みを持つ辛さ──

 

俺はただ幸せを、願った。そしてそれは結果的に順番を作ってしまった。

 

俺は、多くの人間の幸せを願いながらも……限られた人間の幸せを優先した。

賊よりも多くの人間を。多くの人間よりも、ラッジュ。そしてヴァンの幸せを願った。そのために俺は何度も何度も幸せを願った人でさえも斬って殺していった。2人が幸せになれるように。そんなことが無理だと分かりきっていたのに、それでもそう思った。

 

 

「俺のエゴだ。ただ……泣く姿を見たくなかったんだ」

 

 

大事な人が泣く姿を見たくなかった。2人が幸せになれるのなら……なんでもする。

それが最終的に死を招くものだとしても、最期は俺が見届ける。そして、なにもかも終わらせたかったんだ。

 

「……汝願いし言葉、確かに聞き入れた」

 

“人間”はそう言って滑らかな動きで腕をクォードへと向けた。

 

 

 

「契りを」

 

 

その視線はクォードの首、フィリから貰ったネックレスへとそそがれている。クォードはネックレスを外し、その大きな手のひらへと置いた。すると“人間”はクォードに顔を向けて一度止まった後、ゆっくりと元いた場所へと戻っていく。そして、最初見たときと同じように両の手を空へと掲げて、止まった。最初と違うのはその手に金色に光る金のネックレスがあることだ。集っていた“人間”の視線もクォードから空へと移動して、元通りとなっている。

 

クォードは声もなくその光景を眺め続けた。

そして胸に沸くわだかまりを心の奥に押しやったあと、聖剣のほうへと歩み寄り、ついにその手に聖剣を握った。同時にいままで水の浸入を防いでいた膜が一つ二つと小さな穴を開けて空間に水の浸入を許し始めた。徐々に水浸しとなる世界でクォードは確かに聞いた。

 

汝、幸せであれ。

 

水が充満して元通りになったその場所でクォードはゆっくりと浮上しながら、地上にいるヴァンを想った。

最初に聖剣を見せて、その後、ネックレスは祠の壁にある穴に入れるのではなく水底にいる“人間”へ契りとして渡さなければならなかったんだと教えてやろう。

 

──そして、浮上したクォードは血塗れたヴァンと剣を持つリグラを見るのだった。

 

 

 

 

 

 

「……ヴァン。俺は、後悔してるんだ」

 

 

あのときは分からなかったが、いま思えばあの“人間”は俺の意志をただ確認したかっただけなのかも知れない。

エゴの塊でしかない願いでもあの“人間”は呆気ないほどに簡単に聖剣をくれた。神だとも思えたあの“人間”からすれば俺のような人間の願いの理由などさして問題ではなかったんだろう。

……あのとき俺は大事な人の幸せを望んだ。ラッジュ、そしてヴァン。

いままではラッジュとヴァン以外の幸せを断ち切ってきた。だが、ラッジュとヴァンのどちらか一つの幸せは選べれなかった。

中途半端な想いが剣に迷いを生んで、最後はどちらも断ち切ってしまった。

ヴァンは俺と出会わなければよかった。

俺と出会わなければリグラに殺されることはなかった。俺と出会わなかったとしても他の賊に殺されていたかもしれない。だが、それでもあんな死にかたはしなかったはずだったんだ。

けれど。

 

 

「だが、な?俺はお前に会えたことが本当に嬉しかった。ヴァン」

 

 

お前に会って、感情というものを思い出した。笑えるようになった。側に人がいて共にあることの大切さを思い出させてくれたんだ。

俺はお前に生かされた。

お前に出会わなければいつまでも俺はラッジュに辿り着かない場所を延々と周り続けていただろう。どこにいるだか分かりきっていたラッジュから離れて離れて離れただろう。この混沌としていく世界をただ傍観しながら生き続けていただろう。

ヴァン。

お前が、俺を動かしてくれた。お前のお陰で俺は“幸せ”を見れたんだ。お前のお陰で……いま、荒れていた世界は静まりを見せ始めているんだ。平和という希望もそう遠くは無いだろう。

お前のお陰なんだよ。

 

 

「ありが、とう。ありがとう……ヴァン……!」

 

 

クォードは頭を地につけながら声を振り絞った。

風が優しく吹く。

緩やかに、それでも確かに過ぎていく時間。動いていく。

 

世界に光が宿る──

 

 

 

 

 

 

 

 



 

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